【インタビュー】ライフネット生命保険株式会社/木庭 康宏氏 ― 普通の人が普通の生活をして、それがしっかりと守られているという社会インフラを構築していくことが使命。(1/1ページ)
戦後初の独立系生命保険会社として、これまで業界を刷新する数々の取り組みを行いながら、オンライン生保市場全体を牽引しているライフネット生命保険株式会社。
取締役副社長として、同社の舵取りをしている木庭康宏氏は、中央省庁に身を置く官僚という立場を経験した転職組でもあり、その異色のキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
(オンラインをベースに、撮影側のマスク着用、ソーシャルディスタンス等、
感染対策を十分に施した上でインタビューを実施しております。)
本日はよろしくお願いします。木庭さんとは世代も一緒なのでお話が伺えるのを楽しみにしておりました。
こちらこそよろしくお願いします。
学生時代はどういったキャリアを歩んでいきたいと考えていらっしゃったのでしょうか。
もともと社会問題に関心があったので、実はジャーナリストになりたかったんです。
ジャーナリストですか。
はい。当時は科学技術や歴史など幅広い分野に興味を持っていたので、いろいろな分野に関われる仕事に就きたいなと思っていました。高校生の時には、もう明確にそう考えていましたね。
影響を受けた方はいらっしゃるのですか。
社会学者の宮台真司さんです。ジャーナリストではありませんが、彼の本は高校時代によく読んでいまして、社会に関心を持つきっかけになりました。
学生時代は、やはりそういったインターンやアルバイトなどをされていたのですか?
大学生の時に通信社でアルバイトをしていました。
アルバイトまでされていらっしゃったにも関わらず、ジャーナリストではなく、公務員の道を選ばれたのは何かきっかけがあったのでしょうか。
実際に厚生労働省で働いている方の説明会に行った時、ガラッとイメージが変わったんです。
どんな風に変わったのですか。
言葉を選ばずに言ってしまうと、当時はジャーナリスト志願者からすると、政財官の癒着のイメージが強く、霞が関の方たちに対するイメージは良いものではありませんでした。メディアから受け取る情報だけで、実際にはどういった方々が働いているかということを知らなかったのですが、直接働いている方とお話をすると、皆「社会を良くしよう」という強い思いを持って頑張っているんですよ。
そういうことを知ってから、イメージが180度変わりましたね。
そこから公務員を目指されたのですね。
はい。ジャーナリストとしてではなく、公務員として社会課題を解決するところに興味が変わりました。
厚労省に入省されたのは、もともとの希望だったのでしょうか。また、入省前後で特にギャップは無かったのでしょうか。
希望して厚労省に入りました。先ほどお話しした説明会の後に厚労省の職員の方々を何人か知ることができ、どんな人と働くかのイメージができてきました。
実際の仕事自体はあまり想像ができていなかったのですが、与えられた仕事に対しては「こういうものだな」という認識で、特にギャップを感じることはなかったです。
仕事は順調にスタートされたのですか。
いえ、社会人になりたての頃は仕事の進め方も分からなかったので、だいぶ苦労しました。経験の無い領域で、法律関係やガイドライン作成、取締役会のような会議体の事務局など、一般の会社でいうコーポレート部門のような仕事をしていたのですが、最初は当然一人では全くできない仕事ばかりだったので、慣れるまではだいぶ苦労しましたね。
そうだったのですね。厚労省ではどのようなお仕事の変遷を辿られたのでしょうか。
最初に配属されたのが労働政策を担当している部門でした。
私が入省した2002年4月当時は、国が不良債権処理を加速させる動きがあったので、その影響で倒産してしまう会社があったんです。そのような会社から失業してしまった方向けの再就職支援プログラムや、再就職を促進する政策を企画する仕事をしていました。また、銀行がどのように査定をして、どういった債権回収をするのかを学び、どういう場合に政策の影響で倒産したと判断するかといった基準を作ったりもしていましたので、この頃から金融との結びつきがあったのかもしれません。
このお仕事はどのくらい携わっていらっしゃったのでしょうか。
1年くらいですね。その後2年目には、起業支援の仕事に関わりました。新しく会社を創って人を採用したら、その人数に応じて補助金を出す制度などの運営をしました。
面白いですね。3年目はまた違うお仕事になるのでしょうか。
はい。3年目からはまた大きく変わりまして、医学研究を促進する部門へ異動しました。ちょうど個人情報保護法ができるタイミングだったので、医学研究分野でヒトゲノムの情報を扱う際のガイドラインの改定を主な業務としていました。
それまでとは全くカラーの異なる領域に関与されていらっしゃったのですね。
そうですね。そしてそこも一年で異動となって、同じく医療系で法律を作るような仕事をしていました。戦前にハンセン病対策で国が韓国・台湾でも隔離政策を行っていたのですが、それに関連した訴訟や法令対応に関わったり、テロ対策の一環で、バイオテロ(細菌兵器・細菌テロ)を抑制するために、細菌・ウイルスを取り扱うルール作りなどの感染症法改正に携わりましたね。
すごく意義深いお仕事をされていますね。
いま思うと、本当に様々な分野に関わってきました。そしてその後は、生活習慣病対策を担当しました。当時40歳以上が健診や保健指導を受けなくてはいけないという法律ができるタイミングだったので、どうやってそのガイドラインを作る仕事です。これが4〜5年目の時ですね。
厚労省で働いていたのは6年くらいでしたよね。
はい、本省で6年働いて、その後出向になりました。生活習慣病対策の業務の後、育児休業を1年取得しています。その後、復帰した後の半年間は、会計課で厚労省の予算の策定に関わる仕事をしていました。そしてその後、公的な医療保険を運営する協会けんぽへ出向しました。協会けんぽ自体、私が出向した3か月前にできたばかりでしたので、ある意味混沌としたところで深い経験ができたと思っています。
出向先でのお仕事はいかがでしたか。
それまでは、ある程度プレーヤーのように動いていたのですが、出向後はマネジメントの仕事がメインに変わっていきました。当時の私は20代後半でしたが、一回り以上年上の方々をマネジメントする立場になり、慣れない面もあって大変でしたね。
急にマネジメント側に立ち、且つ、年上の方ばかりというのは大変でしたね。
不慣れでもありましたが、若い自分にとっては、とても良い経験でした。
この後30歳の時、ライフネット生命さんにご転職されていると思いますが、方向性を変えるきっかけはあったのでしょうか。
2010年当時は、急速にインターネットサービスやデバイスも進化していた頃でした。厚労省と協会けんぽで、社会保険料の増加や社会保障給付を減らす仕事に関わっていましたが、たまたま当社創業者の出口さんが、「所得が低い若い世代の力になりたい」、「生命保険をわりやすく、安く、便利にしたい」という話をしていて、非常に面白そうだなと思ったのがきっかけです。
もともと民間企業への転職をお考えだったのですか。
いえ、ライフネット生命以外は全く考えていなかったんです。もしかしたら社会意義のある、似たようなネットサービスの企業があれば、好感触を持っていた可能性もありますが、当時は全く他を考えていませんでした。もしもお見送りだったら、縁がなかったと、その場で終わっていたと思います(笑)。
ライフネット生命さん一択だったのですね。当時はまだ上場もされていなかった頃だと思います。
そうですね。まだ未上場でしたが、そこはあまり気になりませんでした。
社員ブログを読んでいたら、たまたま大学時代の友人を見つけて、彼らがいるなら大丈夫だろうと思えたことも、悩まずに応募ができた理由でした。
なにより会社のメッセージが、「子育て世代の保険料を半分にして、安心して子どもを産み育てられる社会をつくりたい」だったので、当時育児休暇を取っていた私にも刺さったんです。とてもタイムリーでしたね。
国家公務員から、まだ未上場のスタートアップへ。奥様は反対されなかったのですか?
我が家は、幸いにして「嫁ブロック」みたいなことはなかったですね。
ご入社されて最初はどのようなミッションからスタートされたのでしょうか。
企業法務やコンプライアンスからのスタートです。それまで法律関係の仕事をしてきたので、法務部のポジションに応募をしました。たまたま募集をしていたので。これまでの経験などを活かして貢献できるかなと思ったんです。
当時はまだ少数組織だったと思います。
もともと私のポジションが、育児休業で欠けた方の追加募集の枠だったので、私が入社した時には、もう一人だけいて、二人体制で進めていました。
入社当時は上場準備中ということですよね?
2010年9月に入社したのですが、その翌月くらいに上場準備のプロジェクトのキックオフミーティングをしてスタートをしました。
ちょうどキックオフというタイミングだったのですね。いろいろとご縁があったということですね。
先ほど話をした大学時代の友人が、投資銀行出身でIPO準備のチームリーダーをしていて、そこに、会計士のメンバーを加えた3名でチームを運営していました。非常に良いチームでしたよ。
とてもバランスの良いチームですね。その中で木庭さんはどのあたりをメインに担当されていたのですか。
数字まわりに関しては、会計士と投資銀行出身のメンバーが担当し、それ以外の、社内ルールであったり、コンプライアンス、内部統制などの仕事が多かったですね。
いろいろとご苦労もあったのではないでしょうか。
様々な質問に対応していくことは大変でしたね。審査で言われた内容は、「ここまで細かくみるんだ…」とか、「こういう分からない領域もあるんだな…」とか、いろいろと勉強にもなりました。
諸々の指摘に対してはお三方で対応していたのですか?
もちろん3人以外の他のメンバーも対応していましたが、基本的には手分けして3人で対応していましたね。
上場までは法務領域をメインに担当され、その後はどういった領域になられたのでしょうか。
最初は、法務に加えて、リスク管理や、お客さま相談部という、顧客からの苦情対応や苦情マネジメントを行う部門の領域を担当していました。
その後、会社が本部制に移行したタイミングで、コーポレート本部が新設されたため、2016年4月にコーポレート本部長に就任しています。
領域が広がりましたね。
そうですね。人事総務、経理、(保険料などの計算をする)数理部等の担当になったので、いわゆる感情論的な世界と、数字の世界とを、まとめて担当することになったので、だいぶ領域は広がったと感じました。
領域の拡大と同時にマネジメント対象も広がったことで感じたギャップやご苦労はありましたか。
コーポレート本部全体で「どういったシナジーを効かせていけるか」ということは凄く考えていて、その分とても苦労しましたね。
例えば、部門ごとに分かれている社内手続きを統合できないかと思っても、各部門の皆もそれぞれ仕事があって、なかなか上手く進まないじゃないですか。こういったことの積み重ねだったような気がしますが、難しいと感じたことも多かったですね。
発足当時、コーポレート本部は何名いらっしゃったのですか。
20~30名だったと思います。
そうですか。マネジメント対象が一気に増えたということですね。
2~3倍になりましたね(笑)。
シナジーの面で色々とご苦労がありながらも、なんとか乗り越えてきたのですね。
一つ一つ丁寧には向き合ってきました。それと、幸い、前向きで新しいことに挑戦したいメンバーも多く、出来る部分から一つ一つ進めていくことができました。
コーポレート本部長はどのくらい務めていらっしゃったのでしょうか。
1年半くらいです。その後、経営企画部、資産運用部、商品開発部と事業開発部の4つの部門からなる経営戦略本部に移りました。
そうなるとお仕事も変わりますよね。
コーポレート本部は、社内向けの下支え的な部門になりますが、経営戦略本部はどちらかというと事業メインの部門です。
経営企画は会社の戦略をどうするか、資産運用は運用してお金を稼ぐことが求められる、商品開発は商品をどう作っていくか、事業開発はベンチャー投資をしたり全く新しい事業を作ったりと、それぞれ多岐に渡る領域になっています。
大きく変わりましたね。組織は何名ほどの体制だったのですか。
20名強でした。
ご異動に関しては何か背景があったのでしょうか。
当時社長をしていた岩瀬さんから、「木庭さんもいつまでも法務ばかりやっていられないよね」と言われました。それと、ちょうど現社長の森が、経営戦略本部から営業本部に移るタイミングだったので、役員のローテーションという要素もあったと思います。
「後継」ということを想定して、その配置を考えられていたのでしょうか。
それは分からないですね(笑)。単に異動をしていろいろ見て欲しいという思いを岩瀬さんがお持ちだったのだと思います。森もそれまでずっと経営企画を担当していたので、営業へ異動したというのも、岩瀬さんの考えだったかもしれません。私もコーポレート本部長になっても、ずっと法務部長を兼務していたので、いい加減、法務から離してみようと考えられたのかもしれません。
様々なお考えがあったのでしょうね。経営戦略本部のヘッドを経て、今のポジションに就かれる間にはそのような変遷があったのでしょうか。
1年半ほど経営戦略本部を経験し、その後は、営業本部へ異動しました。営業本部に2年半くらい在籍して、2022年1月からはまた経営企画、資産運用、商品企画を担当する流れになりました。
ほぼ全てをご経験された上で今のポジションに就かれているのですね。
そうですね。厳密には、システムとお客さまサービス本部のオペレーションはまだ見ていませんが、それ以外の部門は全て担当してきました。
これまで担当されてきた中で、何かインパクトのあったことがあればお伺いしたいです。
インパクトというと、当社がベンチャー投資をしていた会社さんが最近上場したことですね。
あともう一つ挙げるとすると、子会社のライフネットみらい株式会社を作ったことですね。当社は、これまではどちらかというと、保険会社として良い商品・サービスを作ることに軸足を置いてきました。今後一層高まるお客さまのオンライン生保への期待に応えていくためには、多様化するお客さまの不安や課題に対して、適切な商品・サービスを「オンライン上で届ける役割」がより重要になっていくと考えました。
生命保険会社は業務範囲が絞られる傾向がある中で、もっと自由にできるという思いで、子会社を立ち上げ、オンラインの生命保険プラットフォーム構築のスタートを切りました。
スタートアップへの投資、新しい会社の設立と、新しいものを一からつくり、仕上げて成果を生むという点が、やはりインパクトとしては大きいですよね。
そうですね。
逆に、「この時はしんどかった」ということはありますか。
色々ありましたが、どれか一つというより、強いていてあげるとすると、仕事の見方や進め方を変えなければならないタイミングでは、その場面場面で大変でした。
社会人になった最初の言われたことをやっていくというフェーズから、自分でゴールまで考えて仕事を進めていくという段階に変わる時もそうですし、管理職になると自分でやるのではなく、他の人に指針を示して皆でゴールまで持っていくというように仕事の進め方が変わってきます。このように仕事の次元そのものが変わるタイミングは、結構大変でした。
具体的な時期でいうと、いつ頃が最も大変でしたか?
一番大きな変化だったのは、上場準備の頃ですかね。それまで私のキャリアでは経験をしてこなかった全く違う世界でしたし、公務員からベンチャー企業という変化だったので。投資家やファイナンスに関わる仕事は、考え方や行動原理のようなところを理解するのにとても苦労しました。
お伺いするのは恐縮なのですが、今までに辞めたいとか、もう無理だという瞬間はなかったのでしょうか。
新しいことへの挑戦がなくなったり、自分の課題意識に関わる仕事でなくなったりすると、そういう感じになるときもあったと思います。また大変だった時期も当然あったのですが、それでも、もう無理だと思ったことは一切無いですね。それは、新しい仕事の機会というのを与えられてきましたし、自ら作ったりしてきたので、会社とか今の仕事が好きなんでしょうね。性格的に、もしも何か辛いことがあった時は、漫画を読んだらスッキリするんです。自分の中の気持ちの切り替え方が分かっているので、あまり深刻になることはないです。
気持ちの切り替えは早いタイプなのですね。
そうですね。もちろん経営企画などはいろいろなことがありますし、営業で数字がなかなか出ない…みたいな時など、思った通りに進まない時もありますよね。そういう時は、とりあえず漫画を読んで息抜きして終わり!という感じです(笑)。
素晴らしいですね。ちなみに、コロナ禍に入り、組織を動かすという大変さもあったと思いますが、この点はいかがでしょうか。
新型コロナウイルスが流行して、70~80人体制の営業本部を在宅勤務にシフトしていく必要がありました。営業本部にはコンタクトセンターを有しているので、すぐに皆を在宅勤務にすることはできず、感染予防対策を講じながら、どうやって運営をしていくのかというのは、とても考えさせられましたね。
それまでのご経験が活きた面、ありましたよね。
そうですね。特にコロナ禍でのコミュニケーションでしょうか。
やはり在宅勤務になると、社員同士のコミュニケーションが難しくなるという想像はすぐにできたので、リモート勤務のコミュニケーションの大事さに重きを置いた研修なども入れながら、しっかりと進めるようにしました。実際に研修会社にもお願いをして、そこでお互いを知る機会を設けたり、毎週一回メンバーで集まって研修をしたり、意図的にそういった時間を設けることで、新しい状況に順応していく機会は作れていったと思います。
コミュニケーションの重要性ですね。
そうなんです。単純にコミュニケーションの量を増やさないといけないなという危機感もあったんですよね。
前職でマネジメントをやっていた時、部下とのやり取りでコミュニケーション不足の結果、トラブルになったことがありまして…。その後で、似たようなことが起きそうだった時に、こちらからコミュニケーションを積極的に取ることで再発を防ぐことができた経験があったので、コミュニケーションの大切さは身に染みて感じていました。オンラインでの働き方になっても、きちんと会話をしていくことで、皆が孤立しないように動けたということは大きかったですね。
過去の体験が活かされたということですね。普段の仕事の取り組み方として、大切にされていることや意識されていることなどございますか。
意識していることとしては、目的に立ち返ることと、大枠で把握すること。主にこの2点ですね。
例えば、現在のライフネットの生命保険マニフェストは役職員皆で作ったのですが、お客さま視点で、我々が何のために事業をしているのかを理解しながら作成していきました。これは非常に大切なことだと思っているんです。考えが煮詰まることもあるのですが、もともとの目的に立ち返ると、すんなり進むことってありますよね。これは私自身、とても意識しています。
もう一つは、細かいところに目が行きがちな性格でもあるため、大枠でいかに把握するかということですね。
リーガルの仕事が多かったせいか、ついつい間違えてはいけないという思いが強く出てしまうのですが、マネジメントに関してはそればかり考えていると前に進まなくなってしまうので、大枠をしっかり把握していくということを自分に言い聞かせています。
とても参考になります。
あとは、事業と組織とを分けて見るようにしています。
事業と組織を分けて見ていくということですか。
はい。マネジメントをする際には特に重要だと思っていて、例えば、先ほどお話した在宅勤務の件は組織の話になりますが、一方で、こういったことをやっていこうという事業軸の話もあるので、この2つを分けてしっかりと見ていくことが求められると思っています。
マネジメントを行うことは、未来をつくる(=事業をつくる)という面と、人を作る(=組織をつくる)という面、両方の視点で判断をしていくということが大切だと思うので、この点もとても意識していますね。
事業と組織で分けて考えるという点、これはいつ頃から考えられるようになったのでしょうか。
最初は協会けんぽに出向していた頃ですね。実際に6名くらいのマネジメントをする際に、こういったことを実践したら比較的うまくいったので、それからだいぶ意識するようになりました。
目的に立ち返ることや、大枠で把握するということは、いつ頃からでしょうか。
立場が変わるごとにその思いはどんどん強くなっていますね。特に最近は、自分自身のことも客観的に見なければいけないと思っているので、自分の細かいことが気になる性格も分かった上で、この2つがとても大切だとつくづく感じています。
木庭さんは、もともと物事を俯瞰的に見ることに長けている方かと思っておりましたが、それに加えて、ご自身でも意識的にやっていらっしゃるのですね。
これが起きたらこうなって、その次こうなるみたいなシステム的思考は持っているのかなと思っています。何か起きた時に、人事面ではどうなのか、財務会計ではどうなるか、などを考えることは、普段から俯瞰的に見ているからなのかもしれません。ただ、それも細かくなりすぎずに、大枠でドンと捉えたいですね。
例えば、経営方針の重点領域において「顧客体験の革新」と「販売力の強化」を掲げているのですが、ある意味、大枠で掴むと、いかに集客するか、いかに歩留まり率を高めるかという話であったりするので、まずはそれくらいの大掴みで捉えることを意識しています。
非常に参考になります。メンバーの方々も木庭さんがそのあたりを意識されているのはお分かりなのでしょうか。
どうでしょう…。言うのは簡単ですけど、実際はミーティングの時に細かいところを聞いたりしていますからね(笑)。ただ、細かいところもある程度把握しないと大枠で言いきれないこともあるので、無視できる細かさなのか、実は無視できないものなのかということも、しっかりと意識していかないといけないと思っています。
とても興味深いお話をありがとうございました。最後に、個人として、会社として、今後のビジョンをお聞かせいただけますか。
個人としては、もともと社会問題に興味があったので、困ったことが起きなくなるようにしたいという思いがあります。社会保障や生命保険もそうですが、困った時に困らないようにする仕事は本当に大切な仕事だと思っているので、そこはきちんと自らも行動していきたいですね。
先ほどからお話を伺っていると一貫されていますよね。
いろいろと興味のあることはあるのですが、普通の人が普通の生活ができて守られているということが大事だと思っています。その中でも、特に、社会保障や生命保険などの保険の仕組み自体が重要で、社会保障側がしっかりすることで、社会が安定すると思うんです。こういう流れを加速させるために、どんどん貢献していきたいというのがベースにありますね。
会社としての今後は既に開示されている情報もあると思うのですが、木庭さんの言葉としていただけたら嬉しいです。
今、オンライン生保のニーズは非常に多いものの、まだまだ実際の加入者数の割合が少ないので、そのギャップを埋めることがテーマですね。
あと、保険は難しいというイメージが持たれがちなのですが、仕組みとしてはシンプルだと思っています。分かり易く伝えることで、必要なところだけを買っていただいたり加入していただくといったところは、もっと広まって欲しいと思っています。
現在の経営方針を策定したときには、私はちょうど経営企画を担当していました。その意味では、現経営方針は私自身も納得して作り上げてきたものです。目指す姿として「オンライン生保市場の拡大を力強く牽引するリーディングカンパニ―」と定めている通り、オンライン生命保険のベネフィットを生活者の皆さまに知っていただく機会を広めていきたいという志は、今後も大切にしていきたいですね。
本日は誠にありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。