【インタビュー】株式会社VOYAGE GROUP/永岡英則氏 - 創業期のCFO参画。MBO、IPO、市場変更…。CEOの本質的パートナーとして(2/3ページ) - Widge Media

【インタビュー】株式会社VOYAGE GROUP/永岡英則氏 - 創業期のCFO参画。MBO、IPO、市場変更…。CEOの本質的パートナーとして(2/3ページ)

記事紹介

前身となるアクシブドットコム創業直後に参画し、サイバーエージェントの傘下入りからMBO。東証マザーズへのIPO、東証1部への市場変更など、企業成長を牽引し続ける株式会社VOYAGE GROUP・CFOの永岡英則氏。そのキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

やはり血筋は争えないですね(笑)。 比較的そのような教育を普段から家庭内で受けていたということなのですか?

それでいうと、祖父の影響も強いかもしれないですね。父方の祖父(父親の父親)なんですけど、中卒だったんですが証券一筋の人だったんですよ。戦争にも2回出征して、それぞれ生きて帰ってくる運も持っていて。ずっと日興証券にいて、専務まで務めて、それから東京証券(後の東海東京証券)の社長をやった人でした。筋金入りの証券マンというか。 離れて暮らしていたので、あまり会えることもなかったのですが、会う機会があると、いろいろな話を聞いていましたね。普段は昔の話とか一切しない人でしたけど、こちらから質問すると喜んで話してくれたんですよね。

ちょうど僕が1985年(プラザ合意の年)に中学に入学していて、1991年の春に高校を卒業しているので、ある意味バブルの生成と崩壊し始めまでを、中学・高校と過ごしているんですよ。 バブルの時に祖父が、「この相場は明らかにおかしい」と。「一般的な物価に対して土地と株の値段がいびつに上がり過ぎている」と。「これは絶対に大暴落が起きる。自殺者も出る。」とまで言うんですね。

当時それを聞いた高校生の僕は、すごく違和感を覚えたんですよ。戦前や戦後の話とは違って日本もこれだけ経済力や技術力も発達してインフラも整っているのに、(もちろん株の上げ下げはあるだろうけど)暴落して自殺者も出るっていうのは時代錯誤も甚だしいと。銀行員である父の世代も僕と同じような見方で、皆が祖父の言ってることに違和感を感じていて。今からは想像しにくいですが、そういう空気感の時代だったんですよね。

ただ祖父は、あれだけ好きだった株をそこでピタっと止めて、全部売り払って、もう一切やらないと。あれだけ景気が良かったので、本当に全てが違和感だらけでしたけど、実際にその後、本当に彼の言った通りのことが起きていくことになるわけで。 同じものを見ていながらも、結局そこに何を見出せるかということで天と地ほどの差があるんですよね。物事を「洞察する」ということがどういうことなのかを実感した一番はじめの経験でした。

なるほど、そういった環境もあったわけですね。 それにしても、素晴らしい家系ですね。

家系が素晴らしいってこともないですが、証券であったり、株式投資であったり、その辺りへの関心や興味は、血筋も含めて祖父の影響が大きいように思いますね。

将来的にこういうことがしたいな…というイメージが出てきたのも、やはり高校2~3年生頃ですか?

そうですね。だいたいそれくらいの時期に、企業とか市場とか戦略とか組織とか、そういったキーワードに興味が出てきましたよね。

 

その延長で大学も選ばれたのですね。

漠然としたものだったとは思いますけど、企業とか経営に興味があるということの延長で、商学部や経営学部に行けるといいなとは考えていましたね。結果的に、一橋大学の商学部に進みました。

大学時代も充実した4年間だったのですか?

まあ比較的普通な学生でしたけどね。最近のように大学時代に自分でビジネスをやって…みたいなことまではできなかったですけど、いろいろなことをやって楽しく過ごしていましたよ(笑)。 最初はラクロス部に入りました。当時まだ創部したばかりで、人数は少ないし練習場所もないし、そもそもラクロス自体誰にも知られてないし。それが今は一橋を代表する部になっているらしく、一部リーグで優勝争いするような強豪チームになってるんだそうです。 昨年創部25周年パーティーというのがあったので顔を出してきたんですが、ものすごい人数がいて、貧相だった当事の面影がまったくなくて感慨深かったです。

アルバイトはしなかったのですか?

塾の講師をしていました。動機は時給が良いという、それだけです(笑) SAPIXという中学受験の塾で教えてたのですが、まだ設立2-3年くらいの新興塾で、教材なんかもまだ作りながらやるような状態でした。それが最近調べてみたら、50校くらいの巨大塾に発展しているようですね。組織のダイナミズムのようなものを強く感じます。それに子供に何かを教えるというのは案外難しいことで、分かりやすく分解する、そして整理して伝える訓練のようなものになったような気がします。

投資なども始められていたのでは?

株式投資はまだやってなかったですけど、金(純金)は買い始めてましたね。毎月の純金積み立てってあるじゃないですか。あれを大学時代にやっていたんですが、何で金買うの?って周りの友達からは不思議がられてましたね…(笑)。

何でだったのですか?

 

革命に備えようと思って(笑)。 当時何となく自由資本主義の社会の中では、それなりに競争力を持ちながら生きていけそうな気がしていたんですが、万が一これがひっくり返ったら、途端に競争力がなくなってしまうなと思ってたんですよね。 その後いろいろな金融危機もありましたけど、仮に何か大きな革命や戦争のようなものが起こったら…とかいろいろと考えているうちに、貨幣価値というのは信用の上に成り立っているわけなので、モノとしての意味が出てくるなと思い、それで金だと。そう思ったんですよ。革命っていうのは大げさですけどね(笑)。

なるほど…。いつまで続けられたのですか?

それが、いまだに続いているんですよ。大学卒業してから(今年の春で)ちょうど20年経つんですが、ずっと買い続けてます。勝手に引き落とされてるだけですけど。死ぬまで買い続けようかと。死ぬ瞬間にそれを売ってなかったなら、劇的な天変地異というか危機に陥ることなく自分の人生を全うしたんだなと。それはそれで良い人生だったんだなと、あとは残された人(妻や子供達)が使ってくれれば良いと思っています(笑)。

大学時代から続いているとは、素晴らしいことですね。

変わり者ですよね(笑)。

大学の頃の話に戻りますが、ゼミではどんなことをされていたのですか。

伊藤邦雄先生のゼミで、もともと会計の先生なんですけど、いわゆる「会計学」的なゼミではなくて、企業分析のようなものをグループでやっていくというような内容で、とても面白かったんですよ。 いろいろと調べたり、まとめたり、皆で時間とエネルギーを思いっきり割いていましたね。

その流れでコンサルの道を志したのですか?

もともと関心もあったのですが、3年生の夏にマッキンゼーのインターンに行ったのが大きなきっかけですね。インターン募集をしていたので、試しに応募をしたら合格して。 実質5日間だけでしたけど、すごく面白かったんですよね。二人ペアになって、5日間好きなように動いて良くて、最後にそのテーマでプレゼンをするみたいな内容でした。

どのようなテーマだったのですか?

僕らペアに与えられたのは「出版業界の価格破壊の可能性について」っていうテーマでした。 今からもう20年以上前ですけど、当時バブルの崩壊過程のタイミングで、「価格破壊」っていう言葉が流行っていたんですよ。その中においても「本ってディスカウントされていないよね」と。「その可能性ってどうなの?」というテーマで。 当時勢力を伸ばしていたブックオフさんに話を聞きに行ったりとか、他にも講談社さんとか紀伊國屋書店さんにも行きましたね。結論、「少なくとも10年は価格破壊は起きない」というプレゼンをしました。本当にそうかな?と思いながらも、どうシナリオを考えても起きる理由がなさそうだと思いました。結果的には当たっていたと思うんですよね(笑)。

ブックオフさんのビジネスモデルも、当時としては非常に革新的で、話をしていてすごく面白かったんですよ。 いろいろと質問をしていたら「すごいね~!学生でそんなこと考えるんだね!」みたいな話をしてくれたりすると、「これ、すごい面白いな…」と(笑)。事業を考えるとか、マーケットを考えるとか、ビジネスモデルを考えるとか。これがコンサルとの初めての出会いでした。マッキンゼーのコンサルタントの方々もとてもスマートで、非常に刺激になりました。

一方で、コンサル以外の道という選択も、当然あったかと思いますが。

おっしゃる通りですね。大学時代に何となく将来の絵って考えるじゃないですか。すごい長期的にいうと、ベンチャーキャピタリストになりたいなと思っていたんですよ。本当の意味でのベンチャーキャピタリストっていうか、アーサー・ロックに憧れがあって。 でも、当時の日本にはイメージしていたようなベンチャーキャピタルが無くて…。まだマザーズができる前でもありましたし、そもそもIPO市場も未熟だったんですよね。

なるほど、そこで一旦VCへの道は保留にされたのですね。

そうですね。あともう一つはP&Gが選択肢だったんですよ。

P&Gですか。 どういうきっかけだったのですか?

4年生になる春に、P&Gのインターンに行ったんですよ。で、インターンの終了パーティーの際にこっそり呼ばれて、内定出すよと。僕の中での内定1社目ですね。これからのグローバル時代に、これほどグローバルな会社もないだろうという思いもあって、非常に悩みましたよ。 前の年のマッキンゼーでのインターンがずっと心の中にあったので、結果的には、P&Gに行くのか、コンサルに行くのか、という就職活動でしたね。

いくつかコンサルを受けていく中で、コーポレイトディレクション(CDI)さんに出会ったのですね。

そうですね。もともと一橋の先輩でパートナーをされていた方がいて、「うちはコンサルといっても、いろいろと面白いことをやりたいと思っているんだよ。出資とかもしたいし。現にベンチャーに社長を送り込んだりもしているからね。」みたいな話もしていて、これは面白いわと(笑)。 ベンチャーキャピタリストになりたいという思いもあったので、「ただのコンサルティング会社じゃない」と思って、結果的にCDIに決めたんですよ。

まぁ余談ですけど、投資するということと、事業をするということ、コンサルティングをすることっていうのは、似て非なる世界で、経済性も全く違うので、結果的には別物だなというのは、後々気づきましたけど(笑)。

そういう流れだったのですね。 当時でいうと、コンサルの道に進むというのも珍しかったのでは?

そうですね、当時としては珍しいですね。 結局ゼミの皆と話していても、もう時代はベンチャーだね、みたいなことを言っていたんですが、結局ふたを開けてみると、ほとんど大企業に行きましたからね(笑)。商社、銀行、保険、大手メーカー…みたいな(笑)。

CDIさんの新卒入社として、同期は何名いらしたのですか?

それが誰もいなくて…(笑)。 最初は3人って聞いていたんですけど、10月1日になって、まわりの皆は「内定式がある」って言うんですけど、僕には全く連絡もなくて。さすがに不安になったのでこちらから電話をしてみたら「あれ?やりたい?」みたいに言われて(笑)。特にやらなくても良かったんですが、「同期の人にもそろそろ会えたらと思って…」って言ったら、「たぶん同期いないかも…」と言われて(笑)。まぁ、いろいろな事情があったとは思うんですけど、歴代だいたい3名くらいは採用していたんですが、僕の代だけなぜか1人で(笑)。

では、入社式は1人で…(笑)。

そうですよ。前にずらっと社長以下パートナーの方々が並んで(笑)。創業社長も「ま、コーヒーでも飲もうか!」みたいな感じで。 結果的には1人だった分、かわいがられたように思います。同期とライバルのように切磋琢磨して…というのも良かったかもしれないですけど、基本的にマイペースでやりたい派なので(笑)。 でも、その3ヶ月後に、大学院を中退した人が採用されて入ってきたんですよ。なので、唯一同期と言えば同期なんです。未だに付き合いがありますよ。