【インタビュー】ミューゼオ株式会社/成松淳氏 - 10名弱のクックパッドで定めた戦い方。自社を成長させるために意識していたこと(1/2ページ) - Widge Media

【インタビュー】ミューゼオ株式会社/成松淳氏 - 10名弱のクックパッドで定めた戦い方。自社を成長させるために意識していたこと(1/2ページ)

記事紹介

監査法人トーマツから東京証券取引所への出向後、黎明期のクックパッド株式会社に参画。CFOとして管理体制を構築し、東証マザーズへの新規上場、東証一部への市場変更を主導し、同社退任後は、各種ベンチャー支援に取り組みつつ、自らもネットサービスのスタートアップを運営するなど、独自のCFOキャリアを切り拓いている成松淳氏のストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

これまで成松さんとは幾度とお仕事ご一緒させて頂いており、こうして改めてインタビューをさせて頂けること、とても楽しみに参りました。

お手柔らかにお願いしますね(笑)。

こちらのオフィスにも何度かお伺いさせて頂いておりますが、所々お洒落なアンティークものが置いてあって、成松さんらしさが出ていますよね。

まぁ、そこまででもないですけど、少しはそういうエッセンスを入れておこうと。

こうして成松さん自ら入れて頂いたコーヒーも、こだわっていらっしゃるんですよね。

単に好きなだけですよ。 服なんかもそうですけど、流行(ファッション)みたいなものではなく、僕はどちらかというと好奇心がスタートなんですよね。何となくいろんなものを追求していきたいというか…。

服もたくさんお持ちですもんね。靴もたしか数百足お持ちでしたよね?

まぁ、趣味というか好奇心なんですよ。興味を持ったものを紐解いていくというか…。山を登っていくというよりは逆に「潜っていく」という感覚に近いんですけど。すべてにおいて同じなんです。ビジネスについても同じだと思います。そもそもビジネス上の興味の対象っていろいろだと思うんですよ。たとえばお金の人もいるし、権力の人もいるし…。でも自分はそこが好奇心なんですよね。好奇心を揺さぶるものがあって、それをずっと掘っていくというか。追い続けたくなる。

ミューゼオ株式会社  代表取締役CEO 成松淳氏

好奇心ですか。

ええ。今も、複数のベンチャーさんに出資をしていますけど、基本的にはそこ。自分が好奇心を持つ人に出資をするようにしています。 あとビジネスという観点では変わるものと変わらないものにそれぞれ貼ってみたいという思いでしょうか。変わるものには出資しつつ、自分自身でやるビジネスでは「変わらないもの」に興味があったりするんですよ。カルチャーみたいな。

現在展開されている事業はまさにそうですね。

そうですね。様々な好奇心を集めて…のようなコンセプトでやっていますので。そうした健全な好奇心を追う力をなくさないことが人類をもっとよくしていけると思ってやっています。

ちなみに、好奇心は幼い頃から強かったのですか?

たしかに、小さい頃から強かったかもしれないですね。 小学校低学年の時は昆虫学者になりたくて、それが考古学に変わって。小学校高学年頃から中学校くらいまでは宮大工になりたくて…(笑)。

そうですか。昆虫学者というのはどこから?

山とかで友達と遊ぶっていったら虫取りが多かったので(笑)。

ご出身はどちらでしたっけ?

出身は東京なんですけど、たまたま父親の転勤で小学校低学年の時だけ札幌に住んでいて。 虫だけじゃなくて、川でドジョウをとったり、山のふもとでサンショウウオをとったり…、なんだかんだ生き物全般ですね。

幼稚園とか、もう少し前はどのような幼少期だったのですか?

記憶にあるのは、母親にいろんな博物館にやたらと連れていってもらったり…、あとは本をとにかくたくさん読んでいましたね。

株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

当時読んだ本で印象深かった本は?

「指輪物語」ですね。今でこそロード・オブ・ザ・リングでメジャーになりましたけど、当時すごく難しい本だったという記憶ですね…(笑)。 あとは、「三銃士」とか「モンテ・クリスト伯」とか、ジュール・ヴェルヌの「神秘の島」とか、小学生の頃はその辺が好きでしたね。

本が好きだったのですね。

そうですね。 中学・高校とか1日1冊は読んでましたね。図書館でいっぱい借りて。 乱読なんですけどね。1冊3~40分くらいしか掛けずに、完全に斜め読みでざっくり把握してるだけなんですよ。 だからその分、同じ本を十回位読んでも新しい発見があるんです、いまだに。

もともと本が好きになったのは、どなたの影響なんですか?

祖父ですね。祖父の部屋が書斎になっていて、たくさん本が置いてあったんですよ。どちらかというと内向的な子供だったのか、小さな頃は外で遊ぶよりはインドアで(笑)。 でも、それがいつからか野外生活をメインとするクラブみたいなのに属するようになって…。

中学生くらいからですか?

そうですね。ひたすら野外で泊まって、いろんな生き物とかを採ったり観察したりするっていう、部活をやってて(笑)。 でも本当にそういうことが好きで、結局大学でも同じようなサークルに入っていたんですよ。小笠原とか知床とか谷川岳とか釧路湿原とか、ひたすらそういうところに行って2週間くらい山籠もりしてみたいな…(笑)。

実は生き物も、たぶんデザインへの興味として捉えているんですよね。 その機能的なデザイン。機能を伴ったデザインというのは美しいじゃないですか。建物とか生き物っていうのは、本当に美しいデザインなんですよ。それを見るのが好きなんですよね、たぶん。それをひたすら脳にインプッドさせていくのが。

今でも、暇があるとお城を見に行ったり、あとはイギリスに行ったりしているのも、それと同じなんです。

とても芸術的な感性ですね。

だから、逆に会計士としては微妙…というのもありますよね(笑)。

そんなことないじゃないですか。

自分が会計士として大したことないというのは、わりと早い時期から気づいていたんですよ。会計士の勉強を始めた頃からですかね。 もともとなんですけど、好きなものはとことん得意になるんですが、あまりモチベーションがわかないものは、とことん不得意になるんですよ。

そもそも、なぜ会計士を目指されたのですが?

どちらかというと法律科目が得意だったんですが、弁護士は難しそうだから…という、単純な理由ですよ(笑)。

会計士試験は苦労されたのですね。

結構かかりましたね。モチベーションがわかないために模試もほとんど受けたことがないくらいですから(笑)。

途中で諦めるという選択肢も出てきますよね。

そうですね。でもこの先これを劣等感に生きていくのは嫌だな…と思って、最後の一年は粛々と頑張りましたよ。 その時の学びとしてあるのは、どんなに不得意なことでも、粛々とやっていくと、やがて抜けられるんだなっていうことですよ。山を登っている時の森林限界を超える瞬間みたいな、毎日一歩ずつ着実にみたいな。ベンチャーもそうですよね。

その辺りはクックパッドの佐野さんとも感性が近かったのだと思います。もちろん自分なりの野望のようなものは当然持っていましたけど、あくまでイメージで。中途半端な期間の計画などは立てないんですよ。僕もそれに賛成で。長期はビジョンしか見ないと。で、目先はとても地道に積んでいく、ひたすらやり続けるみたいな。好きなことなら集中力がぶれないで済みますしね。

たしかに通じる面は多分にありますね。 無事に(?)会計士試験に合格され、トーマツさんに入所されることになりますが、計何年いらっしゃったのですか?

会計士をやっていた期間は約10年ですね。まず8年やって、そこから東証に1年半くらい行って、また戻って、全部でだいたい10年くらいですね。

東証へは、民間からは初の出向ということで。

日銀や長銀からは何名か来られていたんですが、それ以外からは初めてだったらしいですね。 

ハードルも高かったかと思いますが、いかがでしたか?

東東京証券取引所上場部開示・企画グループというところで、短信などの開示ルールを作ったり、上場会社でいろいろと問題が多発した時期だったのでそうした案件への対応をしていたりして、とてもエキサイティングでおもしろかったですね。 それに、東証は本当に大好きな組織で。コミュニケーションとかカルチャーとか…。会社の良さってこういうことだよなということを、だいぶ認識させられましたよ。 あとは、イベントのロジなんかも仕事の一つでしたね。 上場会社社長と東証社長の懇親会とか、新規上場会社のパーティーのロジとか。

その辺りでベンチャーとの接点が多くなってくるわけですね。

当時リーマンショックの後で、全体的に煮詰まっている感覚がある中、ベンチャーの人達がキラキラしているんですよね。こんな世界があるのか、と。 そんなことを思っていた時に、監査部門時代に同じチームで一緒に仕事をしていた松田さんが、CFOとしてエニグモさんに行かれたので、いろいろと話を聞いていたら、クックパッドの話をもらって…。

転職するのであればベンチャーだと。

そうですね。ベンチャー以外は考えていなかったですね。

他にも何社からか声は掛かったのでは?

数社から頂きましたね。でも不思議と迷いはありませんでした。

他の会社さんの事業モデルは?

バラバラです。セキュリティー系とかメディア系とか。

その中でクックパッドさんを選んだのはなぜですか?

直感ですかね。僕の中では重要な意思決定は常に直感で出てくるので、あんまり悩むっていうのがないんですよ。 その場で良いか悪いかって、なんとなくはっきりと出てくるので。 佐野さんと会って、直感的にとても良かったので、すぐに決めましたね。

オフィスで会われたのですか?

そうですね。まだ小さい代々木のオフィスで。本当に小さなオフィスでした。

当時の社員数は何名くらいだったのですか?

10名はいないという感じでしたね。

応接室のような部屋はあったのですか?

いやいや、そんなものはないです(笑)。一応2部屋(執務スペースと小型の会議室みたいな部屋が)あって、その会議室で話をしたんです。 佐野さんとだいぶ話をしましたけど、楽しかったですよ。夕方の6時に入って出て来た時はもう深夜でした。直感で、特に迷いはまったくありませんでしたね。

報酬の提示は最も低かったらしいですね。

正直、報酬は安いなって思いましたけど、リターンを取るにはリスクを取らないとしょうがないですからね。当時の僕の中でのリターンは、マネジメントポジションでの経験。それを得られるには、僕のような性格だと下から上がっていくのは難しいと感じたので。小さな会社を、自分達の力で大きくするしかないっていうことですよね。 仮に失敗したとしても、そのリターンは経営経験という部分で確実に取れるわけじゃないですか。 であれば、そのための報酬の値下げは全く問題ないなと思ったんです。

その当時、もうご結婚もされていたんですよね?

そうですね。2002年に結婚をしていて、その4年後にクックパッドに入っています。

奥さんの反対はなかったのですか?

特になかったですよ。まぁ、やれば。みたいな(笑)。

一般的な目で見れば、それまでいわばエリートコースを歩まれてきて、いきなりのベンチャーですよ。

まぁ、一応食えなくならないようにはしますと(笑)。先ほどのリスクとリターンの話のように、何を失うのか、そして取れるものは何のか、を考えれば、納得はしてくれましたね。 よくできた妻です…(笑)。