【インタビュー】株式会社サンウッド/澤田正憲氏 - 経営のやり方を変えると、企業は変わるのか。その答えは(2/2ページ) - Widge Media

【インタビュー】株式会社サンウッド/澤田正憲氏 - 経営のやり方を変えると、企業は変わるのか。その答えは(2/2ページ)

記事紹介

ベンチャー企業における組織内会計士の先駆者として、日本公認会計士協会においても様々な取り組みを実施。
事業会社における公認会計士の在り方について啓蒙を続ける株式会社サンウッド・澤田正憲氏のキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

帰国された後は、すぐに就職ですよね。

そうです。1994年に太田昭和監査法人(現・新日本有限責任監査法人)に就職して、2000年の11月まで在籍していました。

クライアントはどうだったのですか?

最初の5年はいわゆる国内監査部門にいたので、大手製造業を中心に、中小企業や公益法人なども含めて会計監査をやってました。 で、たまたまその頃の上司が、IPOの仕事をよく取ってきていたんですよ。仕事を取ってくると、自分のチームから人を出して進めていくんですよね。そういう縁もあってIPOの仕事に呼ばれるケースも多かったんですよ。

まだ若い頃ですもんね。

そうですね、2~3年目ですからね。経験的にはラッキーでしたね。

担当した中での思い出深い会社さんてありますか?

IPO準備をしていた小売りの企業ですね。僕が入った時は上場の最終局面だったので、最後の1年位のお手伝いでしたけど、上場の時に担当をさせて頂いていたので実務としてもとても面白かったですね。

やはりIPOは面白かったですか。

よく言うんですけど、監査の仕事ってどうしても粗探し的な面があるじゃないですか。最終的には監査証明をつけて財務諸表の適正性を証明するという社会的な意義のある仕事なんですけど、一つ一つ個別の作業って「これ間違ってますよね!」というような仕事になりがちなんですよね。審判というか、ジャッジメントという要素が強くて、思いっきり仕事ができないもどかしさというか、それに対して気持ちの中では少し引っかかりがあったんです。

一方で、IPOの仕事って成果を出せばお客様が喜んでくれますし、みるみるうちに会社が成長していくという過程を見ることもできるんですよね。そういう意味では、とてもやりがいを感じられる仕事だなと感じましたね。 仕事は大変ですけどね。ルーティンではないし、いろいろなことも勉強しなければならないし。もっと言えば(会社によっては)中がぐちゃぐちゃだっていうことも少なくないですし。売掛金が常に合わないとか…(笑)。 会計士としての馬力を試される局面が多くてしんどいことも多いんですけど、やっぱりお客さんに喜んで頂ける楽しみというのはとてもありますよね。

クライアントとの距離も全然違いますよね。

やっぱりそれだけ懸命に仕事をしていると、クライアント先の方々とも親しくなりますよ。仕事の後に毎晩飲んだ経理部長さんもいましたしね。今では、利害関係が…とか言われてしまうかもしれないですけど。 クライアントの方は皆さん経験豊富で、語り合いの中から勉強できることも多かったです。25~6歳の若造に対して人生の大先輩がいろいろなことを教えてくれたので。とてもありがたかったですね。

その後も所属は変わらずですか?

当時、ある程度の年次の人達に対して部門ローテーションがあって、その流れで金融系の部門(翌年に金融部として分離)に移りました。そこでちょうど2年くらいですかね。メインのクライアントがメガバンクだったんですけど、ちょうど金融ビックバンの波で、合併によってメインのクライアントを失うなどもあり、今後の方向性を考えるきっかけになりました。

結果的にはどの方向に?

まだ28~9歳なので、そのまま監査法人にいてもというのもあったのですが、「このままで良いんだろうか…」「本当は何をやりたいんだろう…」と、考え出しましたね。 悩んでいるのが分かってか、他部署からも結構誘いがあったりもしましたし。 でも「これまでで一番面白かった仕事って何だろう…」と考えた時に、パッとIPOの仕事を思い出したんですよ。それで、「一からやり直すのであれば、IPOにかかわる仕事をやりたいな」と思うようになったんです。

IPOの中でも、いわゆるIPOコンサルではなく、しっかりと事業会社の中に入って、自らの所属する会社を上場に導きたいなと思うようになりました。 監査の仕事が「審判」だとしたら、IPO支援は「応援」とか「コーチ」とかですかね。でも、できれば自分も「フィールドプレーヤー」としてグラウンドに立ちたいなって思ったんですよ。それで皆で本気で喜びを分かち合いたいなって。

それで転職する意思を固めるのですね。

 

そうですね。でもそこまで積極的に転職活動はしてなかったんですよ。面白そうな会社があれば応募してみようかなくらいの感覚だったんですよ。 で、当時たまたま日経新聞の広告に、シンプレクス・テクノロジーという会社が「IPO準備責任者を募集」とうたっているのを見て、(一応WEBサイトも見て)何となくこの会社おもしろそうだなって思ったんですよ。

え!新聞の広告ですか?

そうなんです、あの日曜日に出ている広告です(笑)。

すごいタイミングですし、すごいご縁ですね。

ですよね(笑)。みんなからも「それ奇跡だろ」とか言われていました(笑)。

たまたまその時にその広告を見ていなかったら出会わなかったということですよね。

当時はまだ人材紹介業もそんなに発展していなかったと思いますし、30前の若造でしたからね(笑)。そういう意味では、本当にご縁ですよね。

まだ監査法人は退職されていないタイミングですよね?

そうですね。退職するかもしれないという旨は伝えていて、引き止めみたいな話をもらっている状態ですね。

シンプレクスさんに応募されて、最初に会われたのはどなただったのですか?

いきなり(金子)社長でしたね。 筆頭株主であった三上さんがそれまで社長をしていたんですが、ちょうど金子さんにバトンタッチするタイミングだったんですよ。

最初にお会いになられた印象は?

この方はおもしろいな!と思いましたよ。何かやるかもしれないなと。直観ですけどね。 これまで会ってきたどの社長とも異なるので、この方と一緒に仕事したいな!とすごく思いましたね。

すぐに意思を固められたのですか?

そうですね。割と早かったと思います。 経営者の魅力と、IPOの確度も高いと感じたんですよね。

IPOの確度はどのように図られていたのですか?

それまでIPO準備の会社を何社も見ていて、IPOできる会社とそうでない会社は当然あるじゃないですか。 どこが違うんだろうなぁと個人的に考えていた時期があったんですが、挙げるとすると、「一つでもいいから圧倒的に他社に勝るものがある」ということなのかなあと思ってました。 技術なのか営業力なのか、いろいろあるとは思いますけど、「これだけは」というものがあるかどうかという点がIPOできるかどうかの境目になっていると感じていました。

シンプレクスさんはどうだったのですか?

外資系金融機関でバリバリやってきたメンバーが集って、特に金融的なシステム技術には非常に強みを持っていたんですよ。 ニッチな分野でも良いので、圧倒的な強みを持っているという点では、とても合致していましたね。

なるほど。経営者の魅力とIPOの確度という点、納得ができました。 逆に、いざ転職をとなると、当然周囲の方からは止められましたよね?

 

当時は会計士がベンチャーに行くなんて、「頭おかしいんじゃないか?」って思われていた頃だったので、いろいろと大変でしたね。 しかも、入社するまで財務諸表は見ていなかったので、「どれくらい利益出てる会社なの?」とか聞かれたんですけど、「いや~分からないな」とか(笑)。「本当に大丈夫なの?」ってよく言われましたよ(笑)。

そうでしたか。 給与も下がりましたか?

もちろん。提示の固定給与はだいぶ下がりましたね。監査法人時代が年齢の割にだいぶもらっていたということもあるので、大きく下がることは想定していました。

想定済みだったということですね。

ただ、パフォーマンスボーナスの幅を大きく取っていた会社でもあって、ありがたいことに結果的にはほとんど変わらなかったですね。

すごいですね。それだけパフォーマンスを出されたということですよね。

会社に利益が出ていたということもあって、そういう評価をして頂きましたね。

結果的に周囲の方々に心配されていたことは解消されていたということですね。

報酬についてはそうですね。会社がつぶれることもなかったですし。運が良かったですよ(笑)。

最初の大きなミッションは何だったのですか?

もともとの経緯の通り、やはりIPO準備の推進ですね。社内に分かる人が当然一人もいなかったので。 何ができていて、何ができていないのかを、会社として把握するところからでした。

最初の取り掛かりは、いろいろとギャップがあったと思いますが。

まさにそうですね。IPO準備と言っても、ほとんど手付かずだったので、その前にやらなければならないことが大量にありました。

それまで複数社のIPOは見てきましたけど、監査とかコンサルで入る時って、数字ができた状態からそれをどう書類に落としていくか…のような段階が多いんですけど、その手前の状態は、やはり大きなギャップがありました。 たとえば「受注残のデータってあるんですか?」って聞いても、「社長に聞いて」みたいな。全てが社長の頭の中だけにある状態なんですよね。契約の管理表とか受注表とか、諸々の社内申請書とか、一切無いんですよ。 今考えれば、ベンチャーなので仕方ないんでしょうけど、一から手探りで、全部作って…みたいな感じでしたよ。

入社当時の管理部門の組織構成はどうだったのですか?

それまでは創業メンバーの一人でエンジニアの方が管理部長も兼務していたんですよ。 経理のオペレーションは、会計事務所から一人(週3日くらい)来ていて、その人がやっていましたね。

会社全体の規模はどれくらいだったのですか?

売上14億円で、従業員40名くらいですかね。

管理部門の内製化というか、構築からだったということですね。

そうですね。その管理部長さんも僕が入ってきたら「もうお任せしちゃいますね!」と言ってくれたので、そういう意味ではやりやすかったですね。

IPO準備の推進というミッションのもと、結果的には入社から上場まで何年ですか?

1年半ですね。

澤田さんにはだいぶ負荷が掛かっていたような気がしますが。

誰もいなかったですからね(笑)。そう言われれば体力的には結構しんどかったですよ(笑)。ほぼ毎晩終電まで作業してましたし、自分がやらなければ何も進まないので、何から何までやりました。

2002年2月にJASDAQ上場され、その後2004年5月に東証二部、2005年9月には東証一部と、良いペースで来ましたよね。

そうですね。業績もついてきましたので。 結果的に、会社設立7年11ヶ月での東証一部上場というのは、当時の最短上場記録でした。

管理部門を管掌する立場として意識していたことは何ですか?

ベンチャーなので、スピード感を失わないこと。それとあまり「管理・管理」しすぎないこと。 たとえば、管理部門のエンドユーザーは社内の人達という側面もありますからね。社内の人達がどうやったら働きやすいかをちゃんと考えるかだったり。 ここら辺は今でもとても大切にしていますね。

エンドユーザーを意識するという視点は大切ですよね。

そうですね。それでいうと、上場して気づいたことの一つに、「監査法人の時は本当の意味での良い仕事ができていなかったなぁ」と思ったんですよ。先ほども触れましたけど、監査の仕事って財務諸表の適正性を証明することじゃないですか。でもそれって「誰のために?」っていうところまで考えていなかったんですよね。投資家や株主、債権者など、財務諸表をつかう方々のことを考えてではなく、つい手元の書類の「ここがおかしい…」とかそういう仕事になってしまっていたなあと。チェックするという作業自体は大切なんですけど、しっかりと財務諸表を使うユーザーのことを考えていれば、もう少し異なる視点で仕事ができたかもしれないなと思いますね。

なるほど。そうでしたか。

今思えば、もっと良いクライアントサービスができたんじゃないかと思います。「規則にこう書いてありますよ」ではなく、本当の意味で正しいことって何だろう…という点まで、あの当時は思考が行き着いていなかったですね。

その視点を最初に気づいたのは、いつだったのですか?

上場して、IRで、実際に投資家の方々と会うようになってからですかね。 投資家の目線と、会計人の目線て少し違うような気がするんですよ。投資家はいわゆる「てにをは」みたいなものをそこまで重要視していないですよね。

IRは最初苦労しましたか?

IRの経験がなかったですし、システム開発というビジネスがなかなか分かりづらいということもあったので、事業の将来性とか、方向性を投資家の方に分かって頂くということは、結構苦労しましたね。情報管理の仕方など、初めてのことだらけだったので。 それと、自分なりに「これはイケる」と思っていることが全く響かなかったり、あまり自分が気にしていなかったことをすごく気にされたり…。 ただ、そんな経験を踏んでいく中で、たくさんの投資家の方から多くのことを学ばせて頂きました。

上場前と上場後では、CFOとしての仕事の領域は変わりますよね。

たしかに。非上場時に無かった仕事としては、適時開示に加えて、IR(投資家訪問)とか、M&Aもですよね。海外企業との提携交渉なんかもやりましたよ。 あとはマネジメントに対する意識も変わりましたね。

マネジメントの意識ですか?

それまでは何から何まで自分でやらないと気が済まなかったんですよ。全てを理解して自分で実践していくというか…。おそらく士業の人達には多いと思うんですけど。 会社ってチームトータルの成果を求めなければならないのに、ついつい自分の成果を最大化したくなっちゃうんですよ。 でも上場をして組織が大きくなるにつれて、「自分が頑張るだけでは成果は最大化しないし、組織は育たないんだ」ということに気づいて、それからはできる限り任せるようになりましたね。

組織もだいぶ拡大していきましたよね。

気付けば本体社員で400名、管理部門で20名ですか。10倍ですね。

ところがその後、シンプレクスさんはMBOを実施し上場廃止という選択を取られることになりました。 ここが澤田さんも引き際だと。

MBOについては多くは語れないのですが、その過程では多くの議論をし、結果的にMBOの選択をしたわけですけど、ある意味役目は果たしたかなと思っています。 13年在籍して、とても好きな会社だったので、自らの進退に関しては悩みましたけど、やはりこのタイミングで身を引こうと考えました。

そうでしたか。 その後はどうされたのですか?

半年間は充電期間にしようと思いました。時間がなくてできなかったこともあったので。大好きなゴルフに行ったり、旅行に行ったりしてました。良い意味でリフレッシュ期間を置いて、次の道に進もうと思っていたんですよ。

なるほどですね。 その間、いろいろな会社からも誘いの声があったのでは?

ありがたいことに、多くの方から次の仕事について、いろいろなお話を頂いていました。「澤田さん、本当に次まだ決めていないの?**という会社がCFOを探してるんだけど一度会ってみない?」とか。

ちなみにどういったお話だったのですか?

ポジションは当然CFOが多いんですけど、上場企業からIPO準備中の企業まで様々でしたね。

もう一度IPOをという思いもあったのでは?

たしかにありましたよ。あったんですけど、IPOの経験て、自分にとって本当に良い経験でもあったので、若い人達にその経験をしてもらいたいなって思っちゃったんですよ。僕がその世界に戻ってしまうと、若手の枠が一つ減ってしまうので。自分自身はいままでにないチャレンジをしてみたいなと思ったんです。

そうでしたか。 結果的に現職であるサンウッドさんに参画されているのですが、きっかけは何だったのですか?

社長といろいろな話をする中で、「リーマンショックからの立て直しを図っていて、財務であったり管理を立て直すことがとても重要で…」などの話をもらったんですよ。

モノづくりが優れている会社が、マネジメント力を強くすることによって、さらに磨きがかかって良くなる会社ってあるじゃないですか。 サンウッドはまさにそんなイメージでもあって、社長自身もずっと仕入をやってきた方でもあるので、IT企業の経営経験と公認会計士としての係数力という今までと違う角度の経営の視点を加えることで、会社がグッと良くなるのではないか考えました。 サンウッドという会社は、経営の理念とか、ものづくりに対するこだわりとかは、優れていて非常に良いマンションを作っているのですが、財務力の弱さやその他の経営的な問題点によって業績は伸び悩んでいました。 より良い経営を行うことで、もっとたくさんの方に会社や商品の魅力を知って頂けるのではないかという思いがありました。

特に管理系の課題が多かったので、「ひょっとしたら、これは自分が入ることで大きく解決するかもしれないな」と思ったんですよ。 僕が入ることで、会社として一段飛躍できるかもしれないなあと。

そもそも次に参画する企業軸として、一緒に経営をすることで最も相乗効果の出る企業に入りたいという考えがありました。 テーマとしては、「経営のやり方を変えることで企業は変われるのか」という思いがあったので、まさにこの企業に参画したいという印象でしたね。

若い頃には、組織内会計士(しかもベンチャー)という、当時めったに無かった道も切り拓いていますし、なかなか無いキャリアを歩んでいらっしゃるような気がします。

珍しいですよね(笑)。

今の立場になって、特に大切にされていることとかありますか?

マネジメントの立場になってからは、説明責任を意識していますね。 要は、わざわざ言わなくても分かるよね!のような、暗黙の了解で物事を進めたりしないようにするということです。 組織ってやっぱり様々なバックグランドの人がいて、様々なモチベーションの人がいて成り立っているので、誰に対しても相手が理解するまでしっかりと説明をして、お互いに納得して仕事を進めていく必要ってあるように思うんですよ。

たしかに。とても大切なことですね。

監査法人の中であれば、全員公認会計士でプロフェッショナルの世界でバックグランドが近いので、阿吽の呼吸みたいのがあって「これ分かるよね」で済んだりするんですけど、事業会社の中では絶対にそれはうまくいかないと思いますね。

会計士の方が事業会社に移る際には大切になってくるかもしれませんね。

そうですね。やはり諸々のマインドセットの変化が必要になってくると思います。

これまで、日本公認会計士協会の中で、組織内会計士プロジェクトなども積極的に組まれています。 現在、事業会社への転身を模索している会計士の方も多いと思いますが、どのようなメッセージを送られることが多いのですか?

一言でいうと、「今できることを一生懸命に全力で頑張ろう!」ですね。 特に若い会計士の方々は、自分のキャリアとかスキルとかに固執しすぎているような気がするんですよ。そういうのは後々ついてくるものだというのを自ら身をもって体感したので、目の前の仕事を懸命に頑張るということが大切と感じています。 「これはキャリアにならないからやりたくない」とか「これはスキルつかない」とかではなく、まずは与えられたチャンスに対して精一杯のパフォーマンスを出していくと。その積み重ねが大切ですよね。

たしかに澤田さん自身のお話を聞くと、そのメッセージは理解ができます。 最後に、澤田さんにとって、今後のビジョンとかあればお聞きしたいのですが。

あまり将来の目標とかを持たないようにしているんですよ。持ってしまうと、それにとらわれてしまうじゃないですか。 若い頃を思い返すとまさにそうなんですが、その時点で見えている景色ってほんの一部でしかないですよね。もう一歩上の世界に行ったり、外の世界に行ったりすると全然違う世界が広がっていたり。 だから、今の見えている世界の中で目標を決めるのは、結果的に自分の選択肢を狭めるなぁという感覚を持ってしまうんですよ。

今できることでいえば、このサンウッドという会社をどう成長させていくか、どう企業価値を上げていくかということになりますよね。で、これが成果として出ないからには次の道は無いんですよ。短期的には目標ですが、これは目標ではないんですよね。

澤田さんらしい解釈ですね!とても「今」を大切にされていることが伝わります。 将来やりたいこととかあるのですか?

あまり表立ってこれをやりたいということはないんですけど。強いて挙げるとすると、組織内会計士のブランドとかバリューをもっと上げていきたいんですよね。 いずれ、しっかりとした会社のCFOや管理部長はどこも会計士がやっていて…みたいな世界を作りたいです。そういう一役を担えたらいいなとは思います。

柳澤さんみたいに喫茶店とか、長谷部さんみたいにカレー屋さんとかとか、そういう面白い回答ができなくてすいません(笑)。

それは澤田さんだからできることかもしれないですね。

そうなるためには、自分自身ももっと頑張らなければならないし、皆でもっと実力をつけていかなければならないですけどね(笑)。

組織内会計士として実績を残されてきた澤田さんが行う取り組み、とても意義高いと思います。

ありがとうございます。引き続き少しずつ貢献をしていきたいと思っております。

株式会社サンウッド 取締役 澤田正憲氏1992年10月に公認会計士2次試験合格。1994年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業。同年4月に太田昭和監査法人(現:新日本監査法人)入所。2000年11月にシンプレクス・テクノロジー(現:シンプレクス)に入社し、2002年2月にJASDAQ上場、2004年5月に東証二部上場、2005年9月に東証一部上場と、それぞれCFOとして牽引する。2014年1月に株式会社サンウッド入社。2014年6月に同社取締役に就任。