【インタビュー】株式会社サンウッド/澤田正憲氏 - 経営のやり方を変えると、企業は変わるのか。その答えは(1/2ページ)
ベンチャー企業における組織内会計士の先駆者として、日本公認会計士協会においても様々な取り組みを実施。
事業会社における公認会計士の在り方について啓蒙を続ける株式会社サンウッド・澤田正憲氏のキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
澤田さんのインタビュー、特に若い会計士の方々にとって、参考になる面が多いかと思います。
そう言って頂けると光栄です。
もともとお父さんも会計士だったとか。
そうですね。
ということは、幼い頃から会計士を目指されていたのですか?
いや、幼い頃はプロ野球選手ですね(笑)。 昔の卒業アルバムなんかを見ると、将来の夢で「プロ野球選手」って書いてありますよ。「阪神タイガースの選手になります」って(笑)。
生まれは関西でしたっけ?
いや、東京なんですけどね。だから親は巨人ファンなんですよ(笑)。
親が巨人ファンで、息子が阪神ファンというのも珍しいですね(笑)。
なんでか分からないですけどね(笑)。気がついたら阪神ファンになっていました。へそ曲がりなんでしょうね(笑)。
そんなことは無いと思いますけど(笑)。
もともと野球そのものが好きな親でもあって、その影響で少年野球にも入っていましたし。
いつ頃までですか?
中学受験をしているので、それまで(小学5年生まで)ですね。
株式会社サンウッド 取締役 澤田正憲氏
中学受験は自らの意思ですか?
小学生なので、親がレールを敷いてくれた面も当然あったと思いますが、自分の意思もありました。 当時中学受験では最も大きいと言われていた塾に通いながら勉強をして、結果的には慶應普通部に入りました。
もともと教育に熱心な家庭環境でもあったのですか?
普通ぐらいだと思いますよ。小学生までは普通に野球少年だったので(笑)。
中学に入られてからは、何をされていたのですか?
バスケットボールです。
何かきっかけがあったのですか?
ただ単にクラスの仲の良い友達がやっていたからです(笑)。
結果的に中学生活での思い出もバスケットボール一色ですか?
中学時代の思い出というとバスケですね! あとは、その当時パソコンが流行り始めていて、みんなでゲームで遊んだり、自らゲームを作ったりしていましたね。
やはり比較的早い時期からパソコンに触れているのですね。
週末に友達の家に遊びに行って、ゲームで対戦したり、プログラミングしたり。 当時パソコン雑誌の一番後ろにプログラムが書いてあって、それをひたすら打ち込んでいくとゲームができたんですよ。 あとプログラムを解析して、ここのパラメータを書き換えると自分のキャラクターがすごく強くなるとか(笑)。それで、それをパソコン雑誌に投稿すると、採用されて図書券をもらえるとか(笑)。そんな感じでした。
子供がパソコンに触れる機会は、その頃から増えてきたかもしれないですね。
中学くらいの年代で家庭にパソコンがあるというのは、ちょうど僕の年代辺りからだと思います。MSXが出たり、NEC、富士通などが普及価格帯のパソコンを発売して、家庭で買える値段になってきてましたから。
高校時代はいかがでしたか?
高校もそのまま慶應で、特に部活には入らなかったんですよ。
そうでしたか。何かあったのですか?
中学3年生の時に、バスケで腰を痛めてしまって、高校に上がった時ってほとんど運動ができなかったんですよ。すぐに腰は治るんですけど、2年生から部活ってなかなか入りにくいじゃないですか。
それは確かにそうですね。高校時代の思い出といえば?
それがあまりこれといったものがなくて…(笑)。懸命に勉強したわけでもなく、遊び呆けてしまっていたんですよね(笑)。だいぶ無駄に過ごしてしまっていたような気がします。
そうでしたか。ただやはり3年生辺りからはそうも言っていられない状況に…
受験する人達よりはかなり遅いと思うんですけど、3年生になる直前に文系にするか理系にするか進路を決めるんですが、理系を取らないと理工学部や医学部には行けなくなるとか。 そういう状況があって、大学のどこの学部に推薦が取れるかというのが進路によって大体決まってしまうのです。
株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
なるほど。では、ちょうどその頃から将来のことも何となく考え始めたと。
そこが将来のことを初めて本気で考えなければならない状況になったタイミングですかね。 パソコンとかが好きだったので、理工学部に進んで、コンピュータの研究をしようかとも思っていたのですが、理工学部の見学会に行ったら「ちょっと違うな」と思ってしまったんですよ。
それは実際にいらした方々の雰囲気を見てですか?
これというはっきりとしたものはないんですが、「何となくここは僕のいる世界ではないかな…」と思ってしまう雰囲気だったんですよ。 で、コンピュータではない世界となると…と突き詰めると、数字とか数学とかの方向に進みたいなとぼんやり出てきたんですよね。 それで、ちょうど身内にいたということもあったので、数字といえば会計士か…と思うようになったんです。
その時にはじめて「将来は会計士」と考えたのですね。
そうですね。それまで本当に遊んじゃっていたので、「このままじゃダメになっちゃうぞ」という危機感もありました(笑)。そろそろちゃんと一回勉強しなきゃいけないなと。
余談ですけど、遊んでたって、どの辺りで遊んでいたんですか?
だいたい渋谷か、自由が丘か、横浜か…(笑)。
派手な遊びが想像できます(笑)。
おとなしいもんですよ(笑)。何してたかはあまり言えないですけどね(笑)。
高校3年生に上がったタイミングでは、もう「会計士になる」という意思があったということですもんね。
文系の進路を選択した時点で「大学に進んだら会計士の勉強をしよう」と決めて進んだということです。
大学の学部はどうしようと考えられたのですか?
慶應の内部進学は、成績順に上位から希望の学部を選ぶんですよね。で、会計士になるということは決めていたため、商学部か?というのも頭をよぎったんですが、結果的には経済学部を選びました。
なぜですか?
あまり数字・数字というよりは、幅広い教養を身に着けておこうかと(笑)。いずれにしても専門学校に行って勉強することになるので学部はどこでもいいかなと思って。
その選択は間違っていなかったかもしれないですね。
結果的にはそうでしたね。
それで大学に進まれて、すぐに勉強を開始されたということですね。
いろいろと調べて、ある専門学校のカリキュラムを見ると、最長で2年、最短で1年とかなんですよ。さすがに1年だと合格率が低いだろうな…と思ったんですが、1年半くらいやれば十分かな!という思いになり、1年半勉強するとなると、大学1年の終わりくらいから開始すれば全然間に合うと。 だったら、最初の1年は遊んじゃおうって思っちゃったんですよね(笑)。
そうでしたか(笑)。
そこら辺が意思が弱くてダメですよね(笑)。 大学1年生の間は、サークルに入って、テニスやったりスキーやったり、よくあるチャライやつですよ(笑)。
まぁ、そうなりますよね(笑)。
でも、もともと決めた通り、ちゃんと1年生の終わりくらいから専門学校に通い始めましたね。
当時、会計士を志望する方ってどれくらいいらっしゃったんでしたっけ?
そうですね…、合格者が700人くらいで、受験者で1万人くらいだったと思いましたけど。 その後、多い時は受験者が3万人くらいの時もあったんですけど、そこからまた減っていって、今がだいたい1万5000人くらいですかね。
試験制度も当時は違いますもんね。
確かに。今は択一があって論文受けて…ですけど、当時は論文7科目一発合格方式でしたからね。今思うとハードル高かったなと思いますよ。
その中で澤田さんは一発合格なんですよね。
運が良かったですね(笑)。
いやいや。当時のハードルで一発合格は、すごいことですよね。 周囲の方々も驚いたのでは?
あんなに遊んでたのにどうして?っていう目では見られましたね(笑)。どこから改心したんだって(笑)。
大学3年生の時ですよね。
大学3年生の夏ですね。
その後の学生生活ってどうだったのですか?
1年間は(週3回)夜に会計士の補習所に通わなきゃいけなかったので、それは行っていたんですが、その他は普通に遊んでましたよ。しまいには1ヶ月ヨーロッパに旅行に行ったりとか。
ヨーロッパですか。
大学4年の夏くらいですね。みんな就職活動が始まって遊ぶ相手もいなくなっちゃって…。じゃあ旅行でも行こうかなと。
余裕を感じますね(笑)。
でも一回はゆっくりと海外に行ってみたいなと思っていたんですよ。
どちらに行かれたのですか?
ユーレイルパスっていう1ヶ月電車乗り放題のチケットを買って、あとは適当にっていう感じですね。 出発する時点では、ロンドンin・アムステルダムoutという往復の航空券と、大枠の日程だけしか決めていなかったです。
そうですか。ここはどうしても行っておきたいという場所はなかったのですか?
それでいうと、イタリア・ミラノでサッカーは見たいと思っていましたね。生でACミランを。
サッカーですか。確かにいいですね!
当時はインターネットが存在しなかったので、サッカーのチケットを取るのも一苦労でしたね。 日本にいながら現地の試合スケジュールを調べるのが大変で…。イタリア大使館に電話して聞いたくらいですからね。
やっぱり本場の試合は最高でしたか。
本当におもしろかったですね。最高でした。 サポーターの迫力とか盛り上がりとか、やっぱり違いますよね。
結果的にイタリアもミラノだけというわけではないですもんね。
そうですね。ローマ、ベネチアとか。フランスも、パリ、ニース、モナコとか。スイス、ドイツ行ったり。
いい旅ですね。その後の人生においても糧になったのでは?
すごく良い糧になりましたね。本当に行って良かったと思っています。 もともと英語が全然できなくて、できもしないのに一人で海外に行って。で、当たり前だけど、やっぱり何も通じないんですよね。今思うとよく行ったなぁって思いますよ。 でも、そんな状態でも何とかなるんですよね。すごく度胸もつきましたし、「やってみれば物事なんとかなるんだな」というのをとても感じさせられましたね。
まず行動に移す。行動に移せば何とかなるだろうと。
本当にそうですね。実際に行ってみることで得られることもたくさんありますし。 何事も自分で経験してみないと、いろいろなものは得られないなと思うようになりましたね。
自分の目で見てということもありますよね。
ピサの斜塔なんかも、それまでは「どうせ目の錯覚だろ」くらいに思っていたんですが、実際にその場で見ると、本当に倒れそうなくらいの角度で…。 やっぱり「本物を見なきゃダメだな」って思いましたね。
なるほど。確かにそうですね。
今ではネット上でいろいろな情報を取ることなんていうのは簡単じゃないですか。でもそれで満足をしてはいけないなと思いますよね。本物を見たり感じたりしないと本質を掴めないんじゃないかなって。
そういう意味では、とても良い経験だったのですね。
本当にそう思います。社会に出る前の人生において、最も印象深い経験でしたね。