株式会社MIXI 取締役 上級執行役員 CFO 島村恒平氏(1/2ページ)

「mixi」「モンスターストライク(以下「モンスト」)」「 家族アルバム みてね(以下「みてね」)」などの数々の有名サービスを世の中に生み出している株式会社MIXI。同社の取締役 上級執行役員 CFOとして、経営推進本部・コーポレートファイナンス本部・人事本部を率いる島村 恒平氏にこれまでのキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 佐野めぐみ
本日はよろしくお願いします。島村さんにお話を伺えることを楽しみにしておりました。
こちらこそ、よろしくお願いします。
それでは早速なのですが、まずは島村さんのご経歴について伺えますでしょうか。
学生時代はテレビマンになりたかったんです。今のような仕事をやることは全く想定していませんでした。そもそも大学では政治学科で国際政治を専攻しており、ゼミでは第三世界と呼ばれる発展途上国を中心に、「資本主義とは何か」を学んでいました。しかし、ちょうど9.11(2001年9月11日)の出来事があり、世界が平和ではなくなるかもしれないという強い危機感を抱くようになりました。自分にも何かできることがあるのではないかと考えるようになり、社会問題や国際情勢を幅広く伝えられる番組制作を通じて、平和の一助になれないかなと思ったんです。そうした思いから、テレビ局などを受けました。
テレビ局と言えば、特に採用人数が少ない業種で、非常に狭き門ですよね。
はい。特に私が就活していたときはキー局は1桁しか採用しませんし、アナウンサー職や技術職もあるので、企画職は採用しても2~3人の世界でした。
かなりハードルが高いですね。
ほぼ全滅してしまったのですが、1社だけテレビの番組制作会社から内定をいただきました。あとは、メディアという括りで、株式会社USEN(現:株式会社U-NEXT HOLDINGS ※以下「USEN」)からも内定をいただきました。最終的にはUSENの方が自分に合っているのではないかと考え、入社を決めました。当時、番組を作るセクションで内定者アルバイトをしていたことから、そのまま制作現場に配属してほしいと希望を伝えていましたが、入社後の配属は経営企画室だったんです。

取締役 上級執行役員 CFO 島村恒平氏
新卒で経営企画室というのも、なかなかレアなケースですよね。
当時、人が足りなかったこともあり、適性がありそうな人をということだったみたいですが、私自身、希望していた部署への配属ではなかったので、前向きになるまでに正直何ヶ月もかかりました。
ご自身が希望したところではないわけですからね…無理もないと思います。
経営企画では予算編成を担うことになりましたが大学は政治学科だったので、予算や管理会計とは無縁で全く知識がありませんでした。簿記を勉強しろと言われたり、Excelを満足に使えないところからのスタートでした。ただ、経営企画は会社の上層部とコミュニケーションを取ることができる立場で、当時私も若く、「今月の予算どうなんですか?」と臆せずに聞いていました。周囲の方々からは「何も知らないから教えてやろう」と結構可愛がってもらえて。さまざまなことを学ぶうちに、「予算を理解することは会社を理解することにつながる」といった仕事の醍醐味を肌で感じられるようになったんです。
経営企画はマルチに仕事があり、銀行の借り入れの計画をサポートする業務やM&Aにも挑戦したり、結構幅広く経験させていただいて、経営企画の仕事の奥深さや重要性が理解できるようになっていきました。経営企画で成果を出すこと自体が大きな価値であり、活躍できるのは幸せなことだということにも気づきました。
徐々にやりがいを感じられるようになったのですね。
一方で、自分の力不足も感じました。上司は四大監査法人出身の会計士で、そこから独立し、USENでは常務取締役になられた方で、その後の上司が世界有数のコンサルティングファーム出身だったんです。彼らのようなプロフェッショナルに憧れていく中で、自分の力量との差は歴然たるものがあり、このままでは埋められないなと思い始めました。4年ほどUSENにいた後、コンサルティングファームを志すようになったんです。
コンサルは、より専門性をつけるという目的ですか。
コンサルでは主に課題解決のフレームワークやプロジェクトの作り方・推進の仕方などを勉強しました。IBMがPwCのコンサル部門を買収して設立したIBCS(現:日本アイ・ビー・エム株式会社)というファームで、経営企画や財務経理向けのコンサルティングをやりました。常にお客さんと相対していたので、USEN時代と一味違いましたね。
クライアントワークとなりますとUSENさんの時とは立ち位置が異なりますよね。
ずっと常駐するクライアントワークだったので、一瞬たりとも気を抜けない毎日でした。仕事は充実していて、さまざまな案件を受注しながら経験を積むことができました。そうして3年ほど経った頃、3.11の東日本大震災(2011年3月11日)が起きまして…。日本はこれからどうなるのだろうかと考えていた時に、日本の再建に貢献したいと思うようになったんです。

日本の再建ですか。
もともと学生時代はメディアに興味がありましたが、その頃からメディアも変遷し、主戦場がテレビではなくインターネットになっていました。モバイルもスマホが台頭してきた頃だったので、日本のエンタメとか漫画とか、そういったコンテンツなどを世界に売り、日本へしっかりと外貨を持ってこられるような仕事に従事してみたいと考えるようになりました。それでグリー株式会社(現 グリーホールディングス株式会社)へ転職したんです。
根底にはそういった想いがあったのですね。グリーさんではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
コンサルで培った管理会計のルール作りやシステム刷新といった基盤整備に携わる一方で、新規事業をコンテスト形式でいくつか立ち上げていくプロジェクトの事務局などもやりました。
グリーさんは何年ほどお勤めになられたのでしょうか。
3~4年くらいいましたね。卒業のきっかけは、当時同僚たちの中ではベンチャー企業に転職し上場を目指す動きが盛んで、その風潮に刺激を受け私も一度勝負してみようと思ったんです。
勝負の結果はいかがでしたか。
ダメだったんです…。
何があったのですか。
電子チケットのベンチャーへCFO候補の管理部長として入社したのですが、ふたを開けてみたら財務が大変な状況になっていました。半年前に大手放送局から出資があったので、キャッシュは大丈夫かと思いきや、実際にはバーンレートがかなり高く危ない状態だったんです。「これは会社自体が持たないので、上場どころではない、新しい株主を探さなきゃダメだ」と話して、売却ストーリーを作り、大手エンタメ企業へ売却の目処がついたタイミングで退職しました。在籍期間は2ヶ月に満たなかったです。
え?わずか2ヶ月で入社、売却、退職まで経験されたのですか!?
そうです。実際には給与は1ヶ月分しかもらっていませんでしたが(笑)。売却の目処が立ち、自分の役目は終わったと感じました。退職後には、USEN時代の知り合いから上場企業の経営再建を手伝ってほしいと言われ、その会社で経営企画をやっておりました。有意義な日々ではありましたが、結婚することにもなり、家族のためにもしっかりと腰を据えて、キャリアを一からやり直したいなと思うようになりました。そこで、自分がこれまで培ってきた知識や経験を最も活かしつつ、新たな学びも得られる会社はどこかと探し、2016年にミクシィ(現:MIXI)に出会いました。

そこでMIXIさんを選ばれたのですね。
私が新卒の頃にはSNS「mixi」で勢いがありましたし、mixiが一時は低迷したもののモンストで再ブレイクした時にはグリーにいて、MIXIの動向はよく見ていました。当時からM&Aを積極的に進め、さまざまな企業を買収しており、その姿にはすごく何かを生み出したいというエネルギーを感じる一方で、会社の方向性を模索しているように映りました。でも、私にはそれがとても魅力的に思えました。
逆にそういった状況が島村さんの中では魅力的に映ったのですね。
恐らくバックオフィスを増強できていないまま、組織は混沌とした状況のなかで前進しているように見えました。この状況でさらにM&Aをやっていくとすると、私自身が勉強できる土台と、その中で私のこれまでの経験で期待に応えられる場面も多いのではないかと思っていました。
なるほど。実際にご入社されてみていかがでしたか。
入社してみると、自分にとってアウトプットとインプットのバランスが絶妙に取れた環境であり、会社選びは成功だったかなと思います。
これまで各社で数々の経験をされてきたからこそ、ある程度会社の現状を想像することができ、フィット感のある環境選びができたということですね。当時MIXIさん以外の会社様もいくつかお受けになられたのですか。
複数社で話を伺いましたが、実はMIXIの選考には、一度落ちたんです。
え…?落ちたんですか?!
今思えば、社内でも色々なニーズが混在していたのだと思います。役員面接の時に、「島村さんのようなシニアなタイプは求めていない」と言われて(笑)。「私は下働きもできるので大丈夫です!」とお伝えしたのですが、もう少し色に染まっていないタイプが良かったみたいです。ところがその後、その役員が退任することになり、二次面接で私を評価してくださった、のちに上司となる方が、「是非またお話させてほしい」と再度私に声をかけてくださったんです。我々のような変化の激しい会社ではよくあることだと思います(笑)。
島村さんの印象が良かったからこそ、再度お声がけされたのですね。
MIXIは志望度が高く働くイメージもバッチリついていたので、不採用で落ち込んでいた中に舞い込んだ朗報でした(笑)。不思議な縁で、その方はその後もずっと私の上司でしたし、振り返るとポジションも彼の後追いをしています。経営企画室長、次に経営企画系の本部長と、自然とその後を追うように昇進するという感じで。
それもまたドラマチックなお話ですね。ご入社をされてからずっと二人三脚でやってこられたのですね。
その上司にとっても、サクセッションとして良かったんだと思います。私がいて、引継ぎもスムーズにいけたので、会社として見ても良い事例に入るような気がします。
