NRIワークプレイスサービス株式会社 代表取締役社長(株式会社野村総合研究所 執行役員) 村上 勝俊 氏(1/2ページ) - Widge Media

NRIワークプレイスサービス株式会社 代表取締役社長(株式会社野村総合研究所 執行役員) 村上 勝俊 氏(1/2ページ)

記事紹介

日本初の民間総合シンクタンクとして創業し、日本有数のコンサルティングとITソリューションを手掛ける株式会社野村総合研究所(略称:NRI)。同社執行役員、およびNRIグループのシェアードサービスを手掛けるNRIワークプレイスサービス株式会社の代表取締役社長を務める村上勝俊氏にこれまでのキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋 貴之

本日はよろしくお願いします。貴重な機会をいただき、大変光栄です。

こちらこそよろしくお願いします。

これまでのキャリアについてお伺いできたらと思ったのですが、学生時代に公認会計士試験にトライされているということですよね。

そうですね。私自身、学生時代に留年することになってしまいまして(笑)。その時間を使って公認会計士の資格取得を目指しました。

公認会計士を目指されるきっかけはあったのでしょうか。

そんなに立派な理由はないんです(笑)。留年してしまったので、仲の良い友人たちとも講義で会わなくなってしまいますよね。そんな中、友人が会計士のダブルスクールをしていたんです。時間もありましたし、私も一緒にと思ったのがきっかけです。

当時、周りに会計士を目指される方は多かったのでしょうか。

ほとんどいませんでした。そもそも学生で合格者となると本当に少なかったです。私は運良く学生時代に合格できましたが、合格後の補習所では東京地区200名中、学生は3名しかいませんでした。

それほど少なかったのですね。学生時代に会計士試験に合格され、就職の際はどのような選択肢があったのでしょうか。

当時の就職活動は、偏差値教育で「良い大学」を出て、いかに「良い会社」に就職するかという時代でした。一方で、会計学校の友人たちは、みんな会計士として専門家になると思っている。自分はどうするのか悩みました。

いろいろと悩んだ結果、専門家というよりは、事業や経営などに興味が強かったので、あえて監査法人ではなく、事業会社へ就職しようと思ったんです。

いくつかの会社は見られたのですか?

そうですね。ありがたいことに、商社やメガバンクなど、いわゆる「大手」と呼ばれる会社はそれなりに見させていただきました。いろいろとまわった中で、NRI(株式会社野村総合研究所 ※以下:NRI)に入社することにしました。

NRIワークプレイスサービス株式会社 代表取締役社長(株式会社野村総合研究所  執行役員) 村上 勝俊 氏

入社を決められたポイントは何だったのでしょうか。

世の中はまだIT黎明期で、そもそも「IT」という言葉が一般的になる前だったんです。ワープロすら触ったことさえなかった私も、ITの事業部に採用してくれるという話だったので、なかなか無い機会だなと思いまして。

まさに先見の明ですね。

日本初の民間総合シンクタンクとして、未来の実現を担う「ナビゲーション(コンサルティング)」と「ソリューション(システム構築)」を統合したビジネスモデルということで、ある意味、先端の仕事ができると思ったんです。

ご入社されてからの職務について教えてください。

約束通り、ITの部署へ配属されまして、8年ほど勤務していました。もともとは金融と流通がとても強いポートフォリオなのですが、それ以外の公共系のクライアントのシステムを作って運用するということを行っていました。

会計系の部署ではなく、やはりあえて事業(IT)側だったわけですね。

これは希望通りでした。それまで会計の勉学に励んでいましたが、事業会社で会計をやるのであれば、監査法人に行った方が良いと思っていたので。自動車業界に行くなら自動車の企画をやりたい、金融業界なら金融を売る側になりたいといった考え方をしていましたね。

IT部門での8年間はいかがでしたか。

すごく楽しかったですよ。1990年入社なので、Windows95が出るよりも前のことです。当時、パソコンなんて一般的ではなく、多くの人は触ったことがありませんでした。ただ、これまで手作業で100人が対応しなければいけなかったような作業が、システムによって自動化されることで、劇的に変わるのです。こういうことを日々実感できた時代でした。

もともと同期の7~8割が理系のマスターで、大学時代にプログラミングを学んできたというようなメンバーばかりの中において、私はITに関して全くの素人なわけです(笑)。そんな中でも、社内の優秀な人たちに混ざって一緒に業務を担い、お客様と一緒にシステムを作り、そしてお客様の課題が劇的に改善していく姿を目の当たりにすることができて、本当に楽しかったですね。

とても充実していらっしゃったのですね。その後異動があったのですか。

はい、本社の特別プロジェクト室です。1998年に人事異動の発令を受けていて、その時には知らされていなかったのですが、実は上場を目指しているということでした。会計に詳しいだろうから、ぜひとも手伝ってほしいと。

そうだったのですね。上場準備のプロジェクトは何名ほどで進められていたのですか。

最初は6名でした。

わずか6名のスタートだったのですね。まさに精鋭のみが集まった特別プロジェクトですね。

たしかにそうだったのかもしれません。会計、法務など、各分野それぞれ責任をもって担える人たちが集まったイメージでしたからね。結果として、非常にハイレベルな業務に関わらせていただいたと思います。

その後、人数も少しずつ増えていったのですか。

はい。私のもとにもメンバーが増えていって、上場準備のピーク時には、4名ほどをマネジメントしながら、実務をリードしていました。

非常にセンセーショナルなIPOでした。

直接の東証一部上場ということももちろんですが、時価総額6,323億円(終値ベース)という大型のIPOでしたので、だいぶ話題にしていただきました。

その分、大変なことも多かったと思います。

そうですね。規模も大きく、決して容易ではありませんでした。何度か延期を繰り返す中、プロジェクト室のメンバー皆で、歯を食いしばりながら頑張っていました。上場発表を終えて上場に向けてのロードショウ中に米同時多発テロ事件が発生し、全ての手続きが整った後に延期になるなどもありましたし、それらの外部要因なども乗り越えて、ようやくIPOを実現することができました。

こういった大型IPOに関与できるのは滅多に無いことなので、非常に貴重なご経験ですね。

その通りですね。

無事にIPOを果たされ、その後はまた現場に戻られたのでしょうか。

いえ、ちょうど一緒に上場準備を進めていた先輩が部長職へ昇格し、財務やIRも統括されることになったのです。上場後の新たな機能も一緒に盛り上げていこうというお話もいただいたので、引き続き本社で頑張っていこうという気持ちになりました。

メインの業務は、どの辺りになっていかれたのでしょうか。

もともと上場に向けての業務を広く担っていたため、上場後も引き続きといった流れになりました。開示関連が中心でしたが、エクイティファイナンスやデットファイナンスにも携わるようになったため、だいぶ担当領域が広くなっていきましたね。

ファイナンスにおいて、印象に残っていることはございますか。

上場後のエクイティファイナンスでしょうか。転換社債型の発行や格付けを取得した上での社債発行など、いずれも初めて経験するスキームばかりで、非常にダイナミックで、良い経験を積めたと思っています。いわゆる「野村グループ」の1社だった会社が、資本が独立し、事業のための資金調達を主体的に実行できるようになったという実感を得ることができました。