【インタビュー】株式会社コロプラ/長谷部潤氏 - トップアナリストから設立2年目のスタートアップへ。まずは全てを数字に落とし込んだ(3/3ページ)
インターネットセクターのトップアナリストから、設立2年目のベンチャー企業へ。
CSOとして経営戦略面の牽引を託され、わずか数年足らずで時価総額ランキング上位企業へと成長。
アナリスト出身者が事業会社内で活躍する道しるべを切り拓いた株式会社コロプラ・長谷部潤氏のキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
スマホというキーワードもありますよね。
本当にそうですね。ブロードバンドの次に来るのはスマホだという確信がありましたので、事業会社に移るのであればモバイル領域ということは思っていました。 あと「社長がエンジニアだといいな」という思いもありましたかね。
それはなぜですか?
WEBビジネスは、それこそビジネスモデルが重要なので、成功されている企業の経営者はビジネスマンが多いですよね。でも、スマホに関しては、WEBに比べてものすごく求められるテクノロジーの領域が広いんですよ。なので、スマホでの経営トップは、エンジニアが良いだろうという考えがあったんです。ネットやITの領域で言えば、アメリカもほとんどそうですし。経営スピードがまるで違うだろうと思ってましたから。
そう考えると、コロプラさんは、まさにそうですね。
たまたまなんですけどね。自分の描いていた理想に近い企業だったんですよ。
でも、完全に転職モードに入っていたというわけではないんですよね?
もちろん。でも2009年11月に取材に行って、すぐに誘って頂いたんですよ。翌月に会食に行ったりもして。 そこからしばらく考える時間も頂いたんですよね。
どれくらいの期間ですか?
決断したのは翌年の春くらいでしたかね。ただ実際の転職は夏でしたので、お誘いいただいてから半年以上経っていますね。
結構長いですね(笑)。
そうですね。しばらく放置してしまっていたんですが、待っていて頂いて(笑)。
そうでしたか。当時、他の証券会社からの誘いも多かったんではないですか?
多かったですね。外資系含めて様々なところから声はかけて頂いていましたけど、他の証券会社に行って同じことをやるのであれば、そのまま大和に残っていた方が良いと思っていましたので。ネット企業に強い大和というブランドもできてましたし。実際、多くの主要ネット企業の主幹事は大和でしたから。
確かにそうかもしれませんね。 最初に馬場社長に会われた際の印象はいかがでしたか?
一般論になりますけど、エンジニアの多くはコミュニケーションが苦手で専門分野の話ばかり、なんて言われてますでしょ。その中にあって、非常に理解力が高くて、とにかく広く勉強をしている経営者だなという印象でしたね。単なるウェブからのつまみ食いの知識ではなく、色々な分野の本を体系的に読んでいるなって感じだったんですよ。会話の中でそれはすぐに分かったので。経営者として本当にしっかりとした方だなという印象でしたね。
やはりそうなんですね。 当時、アナリストからベンチャーへの転職という流れは、非常に珍しかったと思いますが。
本当にそうですよね。僕の周りでも全然いなかったですから。僕の後には知っている人が何人も転職されていますけど、当時は本当に少なかったですね。
退職の話を出された際の周りの反応はどうでしたか?
職場に関して言えば、退職自体は何となく分かっていたような雰囲気でしたね。さすがに会社名を伝えた時はびっくりしていましたけど(笑)。設立2年目の知名度のない会社だったので。
でも、もともと金融のサラリーマンのくせに、髪の毛が長かったり、ひげが伸びていたり、シャツも派手だったり…という雰囲気だったんですが、最後はどんどん長髪になっていくので、周りの女性社員は「これは辞めるな」と思っていたみたいなんですよね(笑)。それにアナリストって結構先のスケジュールまで押さえられちゃうんですけど「入れないで」って言っていたので、やっぱり周りは分かっちゃうんですよね(笑)。 すごくお世話になった役員に話をした際も、「ある程度覚悟はしていた」とのことで、「頑張ってくれ」と言って頂けましたし。 僕も「(その役員が)定年を迎える前に、必ずここの18階(決算説明会などをやる大和のホール)で上場前説明会をやりますから。必ずやりますので、絶対に待っていてくださいね」なんて熱いこと言っちゃったりしまして。なので、約束が実現できたときは、本当に嬉しかったですね。育ててもらった恩返しが少しだけですけど出来たような気がしました。
それはとても良いお話ですね。
社内では、機関投資家営業や人事部含めて、同業他社に行くわけではなかったので、好意的に受け止めて頂けたように感じています。 ただ機関投資家に挨拶に行った時は「何考えてるんだ?大丈夫なのか?」みたいなことは言われましたけどね(笑)。前例もないし成功例もないしみたいな時代だったので。
「ベンチャーに行って何するんだ?」という反応ですよね。
そうですね。コロプラも、それこそ当時はIPOを目指せるフェーズでも無かったので、当然IRという仕事も無いですし「何やるの?」という反応ですよね。
あとは、ご家族ですよね。理解を頂くのも大変だったのでは?
そうですね。少し前からそれとなく話はしていたんですが、やはり収入のこととかもありましたからね。 それで計算モデル式を作ったんですよ。リーマンショックが終わったにもかかわらず日本だけ株価が戻らなかったので、おそらく政権が変わらなければ今後もそれは続くだろうと。そうするとアナリストという職種は、こういう曲線で年収の下落を続けるだろうと(笑)。一方で、コロプラの方は、アナリストに比べて大きく下がるものの、会社の業績を鑑みれば「こういうことも考えられる」みたいな話はしましたね。
あとはスマートフォンの普及率なども説明したんですよ。かつてのブロードバンドの普及率なども持ち出して、どんな状況であろうと、あと数年は間違いなく伸びていくということは確信できていたので。 最後には、最悪会社がダメになったとしても、おそらくどこかの証券会社には戻れるだろうという話もしました。かなり後向きな話ですけど(笑)。
報酬の面などは特に会社側と交渉など無かったということなんですか。
そうですね。ほとんどなかったですね。お互いが思うようなラインで、「これでいきましょう」と。
最初のミッションも、ある程度は伝えられていたんですよね?
そうですね。諸々ありましたけど、まずはKPIの整理ですかね。KPIという概念を根付かせるというか。あとは当時KDDIと協業をするということになっていたので、将来的なことも含めて、その範囲を広げていくということもミッションでしたね。
KPIを定めていくことに対する反発もあったのでは?
もちろんありましたね。なので少しずつ浸透させていくようにしていました。たとえば開発の島にサテライトデスクを作って、僕の部下をそこに座らせて、常にやり取りさせるようにするとか。地道な活動を結構していましたね。 それで徐々に数字を見ながらゲームを作っていくという文化は根づいたかなと思いますね。今では、どのゲーム企業よりも数字を意識している会社になっていると自負しています。
最初の経営企画部は何名だったのですか?
僕と部員一人。たったの2名だけです(笑)。
今は何名ですか?
もう60名ほどになっていますね。
組織もだいぶ拡大されていますね。
そうですね。数字を見るところから始まり、マーケティングが来て、法務が来て…という流れで、徐々に組織化していきましたね。
経営企画部にマーケと法務ですか。
ゲームをつくって運営するという本業の周辺部分は(経理財務や人事面を除けば)全て一括りで見た方が良いと思うんですよね。
たとえば新作ゲームが出るとします。まず法務ですけど、ゲームタイトルの商標チェックと登録が必要ですし、課金の仕組に問題はないかなどを見ていく必要が出てきます。それと並行して、テレビCMなどマーケティング施策も前面に出てきますよね。CMもただ打つわけではなくて、過去データを分析しながら、どれくらいのボリュームをどのタイミングで打てば良いのかといったデータサイエンスの領域にも入ってきます。加えて最近はゲームのコラボも多くなってきているので、他社様とのアライアンスもしっかりと進めないと、って感じで…。で、それら一連の動きは広報活動を通じて、メディアに積極的に載せてもらわなくてはなりませんしね。
それぞれ部署が独立している企業が多い中、そういう意図があるんですね。
そうですね。結局は全てが同一部署で連動していくことになるので、とても効率的ですよ。
長谷部さんが組織を見るうえで意識されていることは何ですか?
とにかく「ねじれ」が無いようにしていますね。
「ねじれ」ですか。
たとえばある案件・事象について、経企の中の複数のグループが横断的に関わっていますから「これ何グループが見てるんだっけ?主管はどこだっけ?」ということにならないようにですね。そうなってしまうと諸々のロスが生じてきますし、責任の所在は明らかでなくなってしまうので。「あいつらがやってくれてるよね」っていう思い込みが一番危険なんですよ。結果、どこもやってなかった…みたいなね。
権限委譲も比較的されているのですか?
そうですね。結構任せていますね。悪く言えば何もしないという感じなんですけど(笑)。方針や骨子は当然伝えますし、何かしらの案件があった際は、その目的はしっかりと伝えるようにしていますけど、それをどういう手段で成し遂げるかまでは、あまり介入しないようにしていますね。
そういったマネジメントスタイルは前からですか?
そうですね。大和の頃からです。何がその人の能力として最も長けていて、それをどう活用すると良い結果が出るか…なんていうのは、本人が一番分かっているじゃないですか。そこに上司とはいえ他人が手法まで口出しするのは、理に合わないと思うんですよ。だから基本的にはできる限り本人に任せるようにしています。
逆に長谷部さん自身が仕事上で常に意識されていることなどありますか?
手法みたいな話になっちゃいますけど、俯瞰して見るようにしていることですかね。何にしても俯瞰して全体の構造を読み取るようにしています。それと数値化ですか。英語が苦手なので、世界の共通言語は数字だと思っていますから(笑)。
現在の立場上ではいかがですか?
それでいうと、社長の馬場が仕事しやすいようにということは常に意識していますね。 馬場からは、「長谷部さんから判断を求められる時って選べないんだよね」と良く言われるんですよ。ロジックや実利でどちらが正しい選択かを考えるのは、馬場でなくてもいいわけです。理屈で判断できますからね。難しいのは、どちらもロジックは正しいし、実利も均衡しているような場合です。案外こんなのが多いんですよ。で、こうなってくると、必要なのは馬場の勘というか閃きなんですよ。そこに至るところまで、例えば定量判断できるような部分は、こちらで全てそぎ落として、良い閃きが出るようにもっていくということです。そういう努力は常にしていますね。 そういう意味では、よく「どうですか」「どうですか」と馬場によく聞きに行っています。トップの閃きだけは誰も真似できないわけですから。
そんなに頻繁にですか?少し意外ですね。
判断を仰がないものについても、報告含めて非常に頻度は高いですよ。ある意味、彼の目や耳になるべくなるという感じですかね。それが経営企画の仕事の本質だと思っているので。
会社としての目標はどう据えているのですか?
まずはゲーム会社として盤石な位置にということですね。まだ業界自体が固まっていないので、企業体としてしっかりとプレゼンスを保てるようにしていきたいなと思っています。中長期的な目標としては、スマートフォン上のコングロマリット(複合企業体)になりたいと思っていて、スマートフォン上の至るところに、(ゲーム以外でも)コロプラという名前が出るような流れにしたいなと思っています。
インターネット事業の成功モデルは、獲得したトラフィックに対してどれだけ収益モデルを多層的に重ね合わせられるかということが基礎だと思うんですね。それをスマートフォン上で初めて本格的に実現できる会社にしていきたいなという思いですね。
個人的な目標としてはいかがですか?
カレー屋さんですかね(笑)。
カレー屋さんですか!?(笑)
そうですね。いつもそう言っています。
なんでカレー屋さんなんですか?
単にカレーが好きっていうこともあるんですけど、クルマが趣味なので、年を取ったあとに仲間が集える場を持ちたいなと思っていて。軽井沢とか八ヶ岳とか。そういったところにお店を開けばみんな来るじゃないですか(笑)。平日はカレー屋さんをやりながら趣味のクルマを走らせて、土日はみんなでワイワイ(笑)。最高じゃないですか。 飲食って一生現役でやれるので、そういうのもありかなと…(笑)。ちなみにカレー屋っていうのは飲食業の中ではすごく合理的なビジネスだと思うんですよ。基本、トッピングビジネスですし…。と、こういう話をすると、みんなハァ?ってなるんですよね。アナリスト辞めた時みたいな(笑)。
いつ頃からというイメージはあるんですか?
さすがにいつと言う具体的なイメージはまだ無いですね。役員となると、リタイアは自分で決められるものでもないですし。必要とされるのであれば当然いなければいけないですよね。逆に、もう必要ないという状態が来るのであれば、その時がおそらく気持ちよく退くタイミングのような気がします。
これからが楽しみですね。
そうですね。やはり働くということは、どう社会に価値を生み出せるかじゃないですか。そういう意味では今の立場でもまだまだやらなければならないことが多いですよね。 一方で、年を取ってから、趣味を同じくする人が集まる場を提供するということも、それはそれで社会的価値では?なんて思うんですけどね(笑)。
最高ですね。
まだまだ頑張ります(笑)。