【インタビュー】GMOインターネット株式会社/安田昌史氏 - 組織が大きくなるほど根幹が大切。グループ経営において常に意識していることとは(1/2ページ)
専務取締役として、東証一部上場のGMOインターネットを中心に、上場8社を含む、グループ81社・従業員数約4100名(2014年12月時点)を管理統括する安田昌史氏。そのキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
安田さんは、もともと経営者家庭で育ったと聞いておりましたが。
そうなんです。1878年創業という老舗の酒屋の家に生まれて、今は兄が6代目として継いでいます。日暮里にあるんですけど、根っからの下町の人間て、そもそもサラリーマン家系があまりいないと思うんですよね。 父も5人兄弟で、そのうち4人が経営者、1人が会計士という、そんな兄弟なんですよ。
親戚に会計士の方もいらしたんですね。
そうですね。身近な親戚に会計士がいたから、試験勉強すれば僕でも会計士になれるんじゃないかな、っていうのあるじゃないですか。非常に安易なんですけど(笑)。大学は法学部だったんですけどね。
弁護士は目指さなかったんですか?
弁護士を目指そうとも思ったんですが、実はちゃんと勉強をしていなかったので、あまり法律が好きではなくなってしまって…。 で、どうせチャレンジするのであれば、全然違うことをやった方が、気合が入るかと思って。いろいろ考えましたが、そもそもバックグラウンドとして、経営者家庭なので、自分で身を立てなければならないという気持ちもありましたし。 それで、心機一転(親戚にもいたので)、会計士にトライしてみるか!と。なんだか、すごく不真面目な理由ですよね(笑)。
GMOインターネット株式会社 専務取締役 安田昌史氏
でも、そこから変わったということですか。
もともと、やると決めたことは、とことんやる性格なので、それこそ朝の7時に専門学校の施設に行って、夜9時までずっと籠っていて…みたいな。 アルバイトなども全部やめて、でもお金がないから、水筒にお茶をいれて、実家が酒屋なので(スーパーのようなものもやっていたので)、賞味期限切れの弁当も一緒にカバンにいれて…(笑)。会計法規集とか会計監査六法とか持って、すごい荷物で、満員電車で毎日通うわけですよ。汚い格好して(笑)。
結果的に合格まで何年かかったんですか?
3年かかりましたね。だいたい会計士試験を一発で合格する人は、本当にできる人か、勉強に慣れている人だと思うんです。 僕は、大学受験を経験せずにエスカレーター式で進学し、これまでまともに勉強してきていないところからのスタートだったので、まずは「一日ちゃんと机に座る」というところから始まるわけですよ。幼稚園児が小学校に上がったときみたいに、まずは一日ちゃんと座っていると(笑)。そうすると、一年で普通に机の前に座ることはできるようになったんです。ただ、当然机に座るだけでは成績なんて伸びなくて、試験にも受からなかったですね。
2回目は、ちゃんと机に座っていられたし、勉強もできるようになったんです。模試とかでそれなりに成績も伸び、「これは受かるかも」と思っていました。ただ、もともと気合を入れると、とことんやってしまう性格なので、そこが災いしたんですね。 論文式試験が、当時3日間で7科目、計14時間の試験だったのですが、試験当日もどれだけ(寝ないで)詰め込めるかのようなことをやっていて。それこそ、当時一番売れていた栄養ドリンクが、1本6時間まで効くというのを経験則で確かめました。で、その3日間で飲んだ本数が7本だったんですね。やはり、あまりにも頭に負荷をかけすぎてしまい、最後の(3日目の)試験で、頭が全く回転しなくなってしまったんです。これはダメだな…と思いながら答案用紙を記入していたのですが、やはり落ちてしまいました。 これは本当に反省しましたね。やはり無茶をしてはダメだと。
3回目は、あまり詰め込みすぎず、試験前の睡眠時間もちゃんと確保して、見たことの無い問題が出た時も、しっかりと対応できるように、準備も入念にして臨めたので、無事に受かったんです。
株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
もしも3回目で、また不合格だったら、それでも勉強は継続されていたんですか?
さすがに大学を卒業しているので、親からは、「なんで大学まで入れているのに、就職もしないで、そんなことをしているんだ。受かる保証もないのに…」ということを言われていましたよ。
それで、「お前今度落ちたら、千駄木に立ち飲み屋を出店しようと思うから」と、おもむろに事業計画を出してこられて、「ここでお前店長やれ」と(笑)。 だから、3回目の試験に落ちていたら、立ち飲み屋の店長をやっていたかもしれませんね(笑)。
立ち飲み屋の店長ですか(笑)!それはそれで見てみたかったような気もしますが…。 無事に試験に受かって、すぐに就職はできたんですか?
当時は就職も結構厳しかったと思うんですが、運よくKPMGセンチュリー監査法人(現:あずさ監査法人)に受かりまして。当時受けたのは4つの監査法人で、結果的に受かったのはKPMGのみだったんです。結構個性的な人が多い監査法人で、そういう意味もあって採用して頂いたのかもしれません。 そして、入所2年目の時に金融部門ができて、なぜかその立ち上げメンバーにアサインされました。外資系の銀行や証券会社ばかりを相手にしていましたが、おかげで非常に良い経験が積めたと思っています。
監査法人には何年いらっしゃったんでしたっけ?
4年弱ですね。ちょうどインチャージ(現場責任者)を経験して、その後に退職というようなイメージです。28歳の時ですね。
その決断・背景って何だったんですか?
KPMGは非常に居心地がよくて好きだったんですが、基本的に監査って仕事は、創造性のある業務ではない、後追いの業務なんですね。どうせビジネスマンなのであれば、ビジネスの中心に入っていきたいという思いもあったので、事業会社に行くか、独立をするかで悩んでいました。ちょうどその頃に、ビジネス系雑誌に、当社(当時:インターキュー株式会社)の上場の記事があったんですよ。それでIPOって面白いなと。その頃はIPOブームで。
そんな中、当社の取締役の新井(KPMG時代の同期)が、先に転職をして、当社に入社していたんですよ。彼にいろいろと思いの丈を話していたら、「であれば、うちの代表に会ってみないか?」ということになったんです。
そういうきっかけで熊谷社長とお会いすることになったんですね。
当時オフィスが入居していたビルに赴き、会議室で待っていると、代表の熊谷が入ってきて、いきなり、「一緒にインターネット革命に参加しよう!」と言って握手されて(笑)。
その場でですか?
そうなんですよ、面接という雰囲気では全くなくて(笑)。履歴書と職務経歴書は事前に渡してあったので、ある程度僕の話も伝わっていたと思うんですけど。 その場で握手をしてもらえたので、「明日からバイトで行きます!」と。まだ監査法人に在籍していたので、バイトで(笑)。時給もいくらでも良いと思ったので、適当に「1000円でいいです」と(笑)。
で、本当にその翌日から行かれたんですか?
行きました。夕方に監査法人の仕事が終わって、その足で。ちょうどその頃、グループ会社のまぐクリック(現:GMOアドパートナーズ)の上場プロジェクトが動いていたんですよ。 当時のまぐクリック社長は、現・専務取締役の西山で、2000年9月9日に設立した会社を、2000年12月期基準でIPO準備を進め、2001年9月8日に上場させるという、とんでもないスケジュールで(笑)。 目論見書とか、引受の資料などを諸々作成していて、「なんなんだこの会社は、8人で上場するのか!」と…(笑)。結果的に、当時史上最短の364日で上場し、話題にもなりましたね。
監査法人との二足のわらじは大変だったのでは?
1ヶ月くらいアルバイトという身で業務をしていましたけど、非常に業務が面白かったので、こんなこと言うと“一人ブラック企業”みたいに聞こえるかもしれませんが、あの当時は、夜は遅くまで、土日も関係なく、ずっと会社にいたんですよ。しかも、もともと監査法人でタイムカードを切る習慣がなかったので、その時は、ほぼ無給で通っていましたね(笑)。
それで4月に正式に参画されるわけですね。
2000年4月に正式入社したのですが、先ほどのIPO業務に加え、2000年5月に、当社のグローバルオファリング(欧州のファイナンス)があって、そのプロジェクトの資料作成などもありました。 2001年くらいからは、M&A戦略を推進していくことになったので、その関連業務に加え、徐々にグループ会社も増えてきたため連結関連の業務なども並行して行っていきました。
参画後いきなりのハードワークですね。
もともと監査法人からこういう世界を求めて来たので、本当に何でも楽しかったんですよね。
その当時はもう結婚はされていたんでしたっけ?
結婚していました。1999年3月に結婚したので、その直後の転職だったんですよ(笑)。でも妻は、「どうせやるなら好きなことをやれば」と非常に理解を示してくれました。
ただ、後々聞くと、妻の両親がですね、監査法人勤務の会計士と結婚したのに、聞いたこともないベンチャー企業に入って…と。当時はすごく心配をしていたようです。妻の家系は、立派な企業のサラリーマン家系でもあったので、それは心配しますよね。逆に(当然ですが)、うちの実家は全然心配なんかしませんでした(笑)。全く無関心みたいな(笑)。
やはり経営者家系ですね…(笑) その後グループ企業も増えていき、気づけば81社・4100名を超えるに至りました。 苦しかったことも当然あったのでは?
正直、これまでそんなに苦しかったことって無いので、挙げるのが難しいですね…。
あえていうと、最初のM&Aの際、アイルという、同じレンタルサーバーを事業としている会社(現:GMOクラウド)が2001年5月にグループジョインしたんですが、ある日突然同社の共同経営者から連絡が入り、「うちの幹部社員が『インターキューの傘下に入ったら企業価値を維持できない』と言って、会議室に集まっているから、今すぐ来てほしい!」と言うんです。急いで行ってみたら、ずらっと皆さんが並んでいるわけですよ。「我々を一体どうしようとしてるんですか!」とか「飲み込もうとしているんですか!」と。
辛辣な言葉を多々浴びて…。当時28歳でしたからね。 ただ、一つ一つ丁寧に聞いていくと、現場の事業部単位でのやり取りが、上からものを言っていたりなど、改善すべき事項が諸々ありました。
結果的に良い方向に進むことになるのですが、この時に、やはり同じ高さに目線を合わせるということが本当に大切なんだと感じましたね。