【インタビュー】株式会社ispace/野﨑 順平氏 ― 前例が無い常識外の挑戦。CFOとして忍耐強く推し進めることの大切さとは。(2/3ページ) - Widge Media

【インタビュー】株式会社ispace/野﨑 順平氏 ― 前例が無い常識外の挑戦。CFOとして忍耐強く推し進めることの大切さとは。(2/3ページ)

記事紹介

2023年4月、東証グロース市場へ宇宙事業で国内初となる上場を果たした株式会社ispace。2017年には宇宙分野のシリーズAとして世界過去最高額となる103.5億円の調達を実施。また、資金調達や予算確保の難易度が高い宇宙事業において、継続性の高いビジネスモデルを実現し、今なお新たな挑戦に取り組む同社の取締役CFOの野﨑順平氏に、IPOに至るまでとその後の取り組みについてお話を伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

ターニングポイントになった会社さんなどはあるのでしょうか。

いくつかあるのですが、たとえば、INCJさんと(DBJキャピタルさんではなく)DBJさん本体の航空宇宙室からご出資いただいているのですが、この2社さんが一緒に出資をされるケースは聞いたことがなかったんです。経産省と財務省ですし。基本的にはそれぞれエリアを分けていて、どちらかがリードで出資されると、そこには株主として入らないようなお話を聞いていました。その両社に手を結んで入っていただいたということで、間違いなくコアができましたし、大きなターニングポイントになったと思います。

非常に大きなポイントですね。

先程もお話しましたが、夢を買うような投資と映ってしまうので、国の機関にそれぞれ信用をしていただけているということが、民間企業の方々と信頼形成する上でも、とても大きな追い風になりましたね。

初期の段階から投資家の顔ぶれが素晴らしいですよね。

本当に良い投資家の方々に恵まれたと思っています。

ファイナンスでご苦労されたこと、想定外だったことなどはありますか。おそらくご苦労されたことだらけかもしれませんが…。

嫌なことは結構忘れてしまうタイプなので(笑)。でも結局ずっと資金調達をやっていましたね。シリーズBが2020年ですし、Cは2021年ですし。

最初のシリーズAからBの間というのは、コーポレート組織を作ることに注力した時間だったような気がします。シリーズAが終わった頃は組織が約40名だったので、まだ開発も本格化する前ですし、お金もそこまで激しく出ていくこともありませんでした。

ただ、組織が拡大するといろいろな課題も出てきますよね。0→1の際に活躍できる人が、必ずしも1→10のフェーズにマッチするとも限らない。会社として、急速にその1→10のフェーズに入ってしまったので、人のミスマッチが起こり始めました。ギスギスしたりコンフリクトが起きて、辞めていく人も多かったです。会社が急速に形を変えていくときにはどうしてもこのようなことは起こりますし、必然的に人の入れ替わりで組織が濃くなるのですが、やはり人の問題は辛かったですね…。

人・組織に関しては、大変ですよね。

エンジニアでもそうした問題が起こっていましたね。もともとispaceは東北大と一緒に進めていたので、大学から来ていたメンバーも結構いたのですが、大事にする基準が異なるわけですよね。

なるほど。

基準が良い悪いではなく、何を大事にするかという点が違うんです。ispaceは、R&Dではなく民間の事業をやる会社なので、しっかりとそこに向かっていかなくてはならない。そうすると、エンジニアの心情との食い違いも発生してきますし、加えて、当時は成果もまだ見えていなかったこともあって、いろいろとコンフリクトが発生していました。2020年~2021年あたりはものすごくしんどかったですね。

資金調達自体は順調だったのでしょうか。

いえ、そうでもなかったです。2回目のシリーズBが2020年だったのですが、ちょうどコロナとぶつかりまして…。50億円の調達が35億円しかできなかったんです。

あの時のファイナンス活動は非常に大変だったと思います。

まさに最後の投資委員会のところがコロナの一番きつい時期に重なってしまったので、大変でしたね。

何かしらの補填はされたのでしょうか?

その穴を急速に埋めるために、各銀行をひたすら回って、20億円をローンで担保しました。

当時、スタートアップでの銀行ローンは非常に大変だったと思います。

実際にほとんど事例がなかったですからね。いろいろと工面をしてきましたが、銀行ローンはそこから始まって年々額を増やしています。

本当に、走り続けているといった様相ですね。

はい。シリーズAが終わった時に、宇宙のエンジニアをよくご存知の方から「絶対に時間もコストも(今の想定よりも)倍になるから覚悟していた方がいいですよ」と言われたんですよ。

シリーズAの103.5億円は、「ispaceのランダー(月着陸船)を2機作ります」という話だったのですが、結果的に、開発も遅れるし、追加の資金オーバーも受けるしと、だいぶ近いような状況になってしまいまして…。なので、常に資金調達に奔走していましたね。

国からの補助金はあったのでしょうか。

今でこそSBIRフェーズ3基金などがありますが、当時補助金はほとんどありませんでした。その代わりINCJさん・DBJさんが株主にいてくださっていることが、国からお金をいただいていることに近かったかもしれません。

やはり、今とは全く異なる時代だったということですね。

そうですね。例えば、政府の宇宙基本計画は4年に1度改定されるのですが、直近の改定では「月面」という単語が50回ほど出てきているのに対して、4年前だと8回しか出ていませんでした。それだけ日本では「月」に対する関心はほぼありませんでした。今はようやくアメリカのアルテミス計画などもあり、月への関心が出てきた印象です。

当時から我々の活動に対して応援はしていただいていますが、本当に補助金をつけても良い対象かどうかは、現実性も含めて懐疑的だったと思います。今でももちろん完全にクリアになっているわけではないかもしれませんが、当時は一切なかったですからね。

まさに先駆者ですね。ここからはIPOに関してお伺いさせてください。上場はいつ頃から意識されていたのでしょうか。

実は入社して1週間でそのミッションが降りてきました。スタートアップなので、もちろんいつかはCFOとして当然上場を目指さなければいけないだろうと考えてはいましたが、シリーズAをやる前から「とにかく早期の上場を目指す」ということだったので、すぐに準備に取り掛かりました。

早期に上場しようということだったのですね。

Mission1をやる前に、「Mission2回分ができる資金を集める」というのがシリーズAのミッションでした。

スペースXもそうですが、絶対に1回で終わることはありません。1回終わってまた資金調達だったら絶対にこれは花が咲かないので。もちろん完全成功ということを目指しているものの、前回のMission1の時のように最後の最後で着陸に失敗してしまうというパターンもあります。何かあった際に、もう一度チャレンジできる資金を集めておくということが、シリーズAの103.5億円の背景にありました。

先の先を見据えた、いわば執念のようなものを感じますね。

正直、当時のその発想は常識外ですよね。あの規模の会社で100億円という目標を掲げることができるのは本当にすごいと思います。私は証券会社出身だったので、証券会社の発想では「まずはMission1を成功させましょう」「そしてその実績を持って上場ですね」というのが一般的ですよね (笑)。

セオリーとしてはそうですよね。

でも、それを言った時に、インキュベイトファンドの赤浦さんから「違う!」と。「いずれはもっと大きな資金が必要になる。特にispaceの場合、日本のスタートアップなのだから、上場しておかないとそういった資金調達ができなくなる。」と。「だから、Mission1を打つ前に、資金調達がいつでもできる環境を整えないといけない。=上場を目指しなさい。」と言われました。

なるほど。

これも常識外なんですよね。常識外なんですが、やはり正しいんです。結果論としてもそうですし、その後を改めて考えてみても、その戦略が正しいなと。

 弊社の行動指針である「Way」に「Go Beyond Convention」というものがあり、これはispaceのCFOの立場として、デットでもエクイティでも全てにおいて、ファイナンスの指針になっています。時代の転換点なので、これまでの常識外と思われていたことが起こり得るわけです。様々な方々のサポートが必要ですが、先々のことを戦略的に考えて、一見非常識と思われるようなことまで大胆にやっていく。この感覚は相当鍛えられましたし、常に意識をするようになりました。

素晴らしい考えですね。上場準備に関しては、具体的にいつ頃からどのような流れで進められたか教えていただけますでしょうか。

N-3から証券会社、監査法人の選定ですね。財務諸表などのレビューもまだ入っていない段階でしたので、正式な監査契約を締結する前にショートレビューを実施いただきました。当時は時間がタイトだったということもあって、だいぶ急いで進めていたと思います。シリーズAを実行するために経理メンバーにもジョインしてもらい、1年かけて大掃除をしたという流れですね。シリーズA前には大掃除は終わっていたので、今度は、監査に耐え得る体制にするために、人事、ファイナンス、経理、リーガルなど、コアな役割を整えていきました。

コーポレートの方々が徐々に増えていく中、野崎さんの業務範囲に変化はありましたか。

そこまで大きな変化は無かったです。入社して3~4年は資金調達を私一人で見なければならず、自分でずっとモデルを組んで数字のシミュレーションや資金調達の実行も担ってきましたが、そこに、内部管理体制を作るという責任が増えました。たとえば、労務時間管理の導入や未払残業代の支払いなどの人事業務もそうですし、経理であれば、上場後に耐えられるように開示スピードを早める体制を整えていったり、システムのERPの導入なども行いました。結果的には、全てIPO準備に必要なことになりますが、エンジニアリングと事業以外はほぼ網羅的に見ていたイメージです。さらに当時は全員野球でしたから、HAKUTO-R(ispaceが行うミッション1およびミッション2を総称する民間月面探査プログラム)のパートナーシップの営業もやっていましたね(笑)。

ファイナンスはもちろん、コーポレート全般の業務に加えて、自らセールスも行っていたということですね。

スタートアップなので、自分ができることを何でもやらなければと思っていました。楽しかったですけどね(笑)。