【インタビュー】グリー株式会社/大矢俊樹氏 - 子会社社長から時価総額3兆円企業の取締役CFOへ。揺るぎない情熱と大切にした価値観(1/4ページ) - Widge Media

【インタビュー】グリー株式会社/大矢俊樹氏 - 子会社社長から時価総額3兆円企業の取締役CFOへ。揺るぎない情熱と大切にした価値観(1/4ページ)

記事紹介

カリスマ創業者が去り、大きな転換期を迎えたヤフー株式会社にCFOとして参画。再び時価総額を3兆円台まで回復させた宮坂体制を、副社長兼CFOとして支えた大矢俊樹氏。激動の6年間を経て、現在、グリー株式会社の取締役として全体を牽引する同氏のキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

本日は貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。 こういったインタビューを受けていらっしゃるイメージが無いのですが…。

そうですね。 ほとんどないと思います(笑)。

そういった中、本当に光栄です。 大矢さんに関して、いろいろとお話を伺えたらと思い、楽しみに参りました。

なんでも聞いてください(笑)。

グリー株式会社 取締役上級執行役員 大矢俊樹氏

誠にありがとうございます。 これまでのキャリアのことはもちろん、人生観のようなものも伺えたらと思っておりまして…。

そうですね。できる限りお話できたらと思いますので。

もともと大矢さんはどちらのご出身なのですか?

東京ですね。町田の出身です。 結婚するまではずっと町田に住んでいました。

そうなのですね。 幼少時代、こんな少年だったというエピソードなどありますか?

ほとんど忘れてしまっているんですよね…(笑)。 悪ガキっていう感じではなく、割と良い子だったような気がします(笑)。 つまらないエピソードなんですが、漢字がとても好きだったんですよ。たぶん小学校2年生くらいだと思うんですが、漢字辞典ってあるじゃないですか。2000文字くらいあったと思うんですけど、夏休みの内にそれをひたすら書き写していた…みたいなことはありましたね。

全部ですか?

そうそう。宿題とかでもなく、ただ単に漢字が好きで。もはや、なぜそれを始めたのかすら覚えていないんですけど、それがすごく辛くて…(笑)。

やらされたということではなくて?

いや、完全に自分の意思なんですよ。自由研究などでもなくて、単純に漢字が好きだったからだと思います。ものすごく辛かったという記憶もあるのですが、途中で辞めたくなかったんでしょうね。

幼い頃から、大器の片鱗を覗かせていますね(笑)。 勉強は厳しく教えられていたのですか?

株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

いや、だいぶ自由放任だったと思いますね。小学校の低学年までは母に勉強を見てもらっていましたけど、そこから先は、そこまで周りから言われたことはなかったですね。 それなりに親が年をとってから生まれてきたということもあったかもしれないです。

おいくつの頃なのですか?

30代後半の時に僕が生まれたと思います。実は11歳離れた兄がいるんですよ。

11歳上のお兄さんがいらっしゃるのですか!

そうなんです。今年でもう60歳ですかね。11歳も離れていると、子供の頃はあまり兄弟っていう感覚ではなかったですよね。僕が小学生の頃、兄はもう大学生でしたから(笑)。

たしかにそうですよね。 ただ、こういった環境が、人間形成のベースになっているかもしれないですね。

そうかもしれないですね。当時としては比較的、親が年をとっていた方なので、それなりに成熟をしていたと思います。大人っぽい親に育てられたという印象もありますし、そういった環境だからこそ、穏やかに育ってこられたように思います。

小学校は地元の公立だったのですか?

そうですね、町田の小学校です。中学は受験をして私立に行きました。

中学受験は、親の勧めなどもあったのですか?

親からの勧めはありましたね。町田の公立小学校だったので、そもそも受験をする人が少なかったです。

中学から慶應ということですか?

そうですね。慶應の普通部に進みました。

中学時代は主に何かされていたことなどありましたでしょうか?

特にこれということはないのですが、「山岳部」というクラブに入って、山登りをしていましたね。中学時代限定でしたけど(笑)。高校になったら水泳になりました。

高校からは水泳ですか。何かのきっかけがあったのですか?

海を泳ぐ遠泳のクラブだったのですが、割と歴史があるんですよ。単純に楽しそうだなと思って。

遠泳ですか。初めての人にとっては結構ハードルが高いですよね。

そうですね。最初の頃の練習は辛かったですけど、とても楽しかったですよ。 普段はプールで練習をしているんですが、夏には1ヶ月くらい千葉の館山で合宿をやったりして、だんだんと長い距離を泳げるようになりましたね。 最初の年に泳げたのは、だいたい16kmで、最後の年は25㎞くらいでした。

25kmを泳ぐというのは、並大抵ではないですね…。

だいたい9時間半くらい掛かりますね。

9時間半ずっと海を泳いでいるということですか…。凄いですね。

それが青春みたいな感じですね(笑)。勉強は勉強で、それなりにやっていたんですけど、本格的に泳いでいたので、趣味のようなことも無く、勉強と水泳に打ち込んだ高校生活でしたね。

大学に進まれてからは、どうされたのですか?

高校と大学が繋がっているので、大学1年生までは、その水泳を続けていたんですよ。 それで、1年で辞めて、会計士の勉強を始めました。

そこで会計士の勉強を開始されるのですね。 何かきっかけもあったのですか?

特にきっかけのようなものは無かったのですが、普通に就職活動に入っていくよりは、何かの資格を取りたいなと思って。

会計士とか弁護士とか、どの資格が良いかをいろいろな人に聞いたのですが、慶應の場合は、会計士の合格者がとても多いので、実際に周りで何人か勉強を始めている人もいたんですよ。そういった流れで、会計士にしようと思って。

大学2年生から勉強をされて、試験合格はいつですか?

3年ですね。

一発合格ですか。さすがですね。

大変だな~って思っていたんですけど、だからこそ絶対に一回で受かりたいと思って(笑)。一回で受かるためには、1日10時間くらい勉強しないとな…と思って、それを実行していました(笑)。

もともと負けん気が強いのでしょうか…?

どうなんでしょうね。集中力みたいものは割とあったような気がしますね。

小学生から漢字辞典をまとめているほどですからね(笑)!

本当ですよね(笑)。

会計士試験に合格されて、その後は何かされていたことはあるのですか?

会計士の試験に合格すると、監査法人からリクルーティングが来るじゃないですか。あの頃は非常に売手市場だったということもあって、すごかったですね。どこも海外研修付きでしたから(笑)。

そういった時代ですよね! 大手の監査法人を中心に様々な声がかかる中、トーマツさんを選んでいますよね。

そうですね。

なぜトーマツさんだったのですか?

まだ学生だったので、特にこれといった理由までは無いんですよね。出会った人の印象とか、全体の雰囲気とか、クライアントの属性とか。

大企業の安定したクライアントというよりは、勢いのあるベンチャーも多く担当していたので、IPO支援であったり、コンサルであったり、そういった領域で力をつけていきたいって思ったんですよ。

トーマツさんには何年間の在籍になりましか?

大学3年(90年)の10月からなので、丸9年ですね。99年までいたので。

クライアントはどういった先が多かったのでしょうか?

金融が多かったですね。銀行とか保険会社とか。あとは製造業もあれば小売もあれば、卸売りもあればと、複数のセクターは担当していました。 超大手は無かったですが、その分、IPO支援なども携わることができましたし、良い経験が積めたように思います。