【インタビュー】ギークス株式会社/佐久間大輔氏 - IPOはより良い会社作りの近道。その先にある企業の存在価値と未来を創造するCFOの姿とは。(1/3ページ) - Widge Media

【インタビュー】ギークス株式会社/佐久間大輔氏 - IPOはより良い会社作りの近道。その先にある企業の存在価値と未来を創造するCFOの姿とは。(1/3ページ)

記事紹介

2019年に東証マザーズに上場し、2020年には東証1部に市場変更を果たしたギークス株式会社。現在は、プライム市場へのステップアップも終え、2025年には売上高100億円を目指して、まさに躍進中。そんなギークスのIPOの立役者であるCFOの佐久間大輔氏。安定した事業運営や社内の一体感の醸成など、「より良い会社」として必要なものをIPOの準備過程で作り上げ、「IPOはメリットしかない」と語る佐久間氏にお話を伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 利根沙和

投資のプロからIPO当事者へ

本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、これまでのご経歴などをお聞かせいただけますか。

新卒でベンチャーキャピタルの日本アジア投資に入社し、12年間勤めました。大学では経済学部の金融学科で、銀行出身のゼミの先生のもとでファイナンスなどを学んでいたのですが、そこでファイナンスの手法には銀行からの資金調達以外にも、ベンチャーキャピタルやエクイティファイナンスなど複数あることを知り、興味を持ちました。

新卒でベンチャーキャピタルを志望されたのですね。社会人のスタートラインから既に視座の高さを感じます。

きっかけとしては、大学3年生の夏に自分が決めたテーマで海外研修に行くという制度で、アメリカ・シリコンバレーでの研修に参加させてもらったことが大きかったです。当時は1990年代後半。シリコンバレーといえばNetscapeやAppleなどインターネット関連企業が成長目覚ましく有名でしたが、日本でもソフトバンクやHISなどが上場し、ベンチャーに注目が集まっていた時代でした。そんな中で日米のベンチャー企業の成長にはどのような違いがあるのかをテーマに決めて渡米し、1ヶ月の研修期間中には現地の企業やベンチャーキャピタルも実際に訪問してまわりました。そこで、ベンチャーキャピタルってすごく面白そうな仕事だなと。経営者と直接コミュニケーションをとり、資金を提供して、その企業の成長を見ていくという仕事の面白さに惹かれ、新卒でVCの世界に飛び込みました。

取締役CFO 佐久間大輔氏

ベンチャーブームの真っ只中の時代に、最先端の場所でベンチャーの魅力や経営者の手腕を肌で感じられたご経験が、その後のキャリアへつながっていったのですね。日本アジア投資に入社後は、どのようなご経験をされたのでしょうか。

最初の5年間は、出身の北海道・札幌勤務となり、ベンチャー支援といっても投資先はあまりなく、地元の企業支援を中心としたスタートでした。その後だんだんとIT系のベンチャーが出てきたのですが、やはり東京と地方の差やスピード感の違いを感じていましたね。東京に異動後は、もともと興味関心の強かったベンチャー投資はもちろんのこと、当時増えていたCVCファンドが作ったベンチャーキャピタルにも関わりました。最終的には、ファンドマネジャーとして、ファンド全体を見る仕事にも携わり、13年ほど勤めたところで事業会社への転職をしました。

投資のプロフェッショナルとして充実したお仕事をされる中で、次に事業会社へと転職を考えたのは何かきっかけがあったのですか?

この仕事を10年以上もしていると、投資させていただいた企業が成長して、IPOをするといった流れも出てきます。ベンチャーキャピタルの仕事の全体像が、一通り見えてきたと感じるようになったんですね。そんな時にある上場企業から、海外展開するのを手伝ってほしいと誘いを受けたのです。VCとしてはある程度全体感が見えたものの、事業会社の経験がなかった私にとっては事業サイドを知れるいいチャンスだと思い、そこで3年ほど勤めました。

事業会社でのご経験も積まれた次のステップはどのようなところだったのでしょうか。

はい。事業会社での経験を携えて、もう一度ベンチャーキャピタルへ戻るか、それともこのまま事業会社でやっていくか悩んだのですが、事業会社に残って「未上場から上場」の経験をしてみたいというのがひとつありました。これまで投資先の企業がIPOをするのを見てきたので、イメージとしてはわかるのですが、実際の実務はやったことがありません。IPOを目指す企業の管理部門の方々とのやり取りをした経験はあっても、事業部門の方々と連携した経験はなかった。だからこそ、IPOとはどんなものなのか、やってみたいという思いがありました。そんな時に、ギークスの社長の曽根原から、一緒にIPOをやらないかと声を掛けてもらったのです。

マザーズ上場時のCEO曽根原氏と佐久間氏

そうだったのですね。IPOのご経験を目指される中でギークスへの入社の決め手はどのようなところだったのですか?

曽根原との出会いは、私がVC時代に投資をさせていただいた会社の代表取締役副社長という関係でした。その後、無事にIPOを果たし、更にその子会社をMBOして、ギークスとして独立をしていたところだったのです。ギークスは、ITフリーランスと企業のマッチング事業というしっかりとしたベースがありつつ、更にもう一つのゲーム事業も成長が見込めそうだという状況。まさにこれから資金調達や上場準備を進めていくところでした。IPOの経験を…というのももちろんありますが、曽根原との以前からの長い信頼関係と、会社として今後の成長が期待できると感じたことが決め手でした。

VC時代のネットワークを活かしたファイナンス

VC時代からの信頼関係がある中で、ご一緒にIPOを目指すことになったのですね。佐久間さんの入社時のミッションはどのようなことだったのですか?

先程お話したように、ギークスはMBOによって上場親会社から独立した会社なので、いわゆる通常のベンチャーとは違って、既に体制や規程などはある程度整った状態でした。そのような中で私のミッションは、IPOに向けた資金調達などのファイナンスを中心に、主幹事選びを始めとしたIPOプロジェクトの取りまとめですね。あとはVCでの経験を活かして、既存事業の効率化や事業領域の拡大などを経営企画室長として進めていきました。

なるほど。MBOされたところからIPOも自然な流れだったかとは思いますが、改めて会社としてIPOを目指された意義というのはどのようなところでしょうか。

IPOで当社の認知度を上げて、ITフリーランスの働き方支援を広げたいというのが一番です。また、曽根原は以前の会社でもIPOを経験していましたから、業績が伴えばIPOをするという考えをごく当然として持っていたというのもあります。ですから、「気合をいれてIPOするぞ!」という感覚より、「IPOはゴールではなくて、スタートライン」という感覚でしたね。トップの意識の高さというのはすごく大事だなと思うのですが、IPOに限った部分でも、当初からマザーズは当然の過程であって、東証一部へのステップアップが上場としては一つのゴールであるべき、という方針でした。

市場変更も当初から計画の範囲内だったのですね。IPOに至るまでのコーポレート組織やIPO準備チームの体制の変遷なども教えていただけますか。

私が入社した2015年からIPO準備を始め、その4年後の2019年にIPOを果たしました。入社当時の社員数はまだ70人程度で、管理部門は5~6人。そのうち、IPOチームは社長、私、経理、総務の4人ほどでスタートしました。チームを徐々に強化していく過程で、経理担当と法務担当の2人が加わり、最終的には6人体制になりました。あとはここに、各事業の本部長にも協力をお願いし、しっかりと関わってもらいながら進めていきました。

IPO準備というと、社長のトップダウンや管理部門メンバーが中心となったチームで進められる場合が多いと思いますが、御社は事業部門も関わりながら一体感を持って進めていかれたのですね。

そうです。当社のコア事業はIT人材事業ですが、ゲーム事業をはじめ複数事業があるので、全体の事業計画を立てる上でも、各事業の細かい部分に関しては、それぞれの本部長にしっかり関わってもらう必要性を感じていました。審査の質問に回答する際も、各本部長にまず考えてもらい、それを社長と私とで質問の意図を踏まえながらディスカッションをして回答を作成してきました。事業の責任者にもしっかりと回答を考えてもらうことを通じて、IPOの意識を共有することができました。これは会社作りにおいても、IPO後の運営においても大切なことだと思います。

IPO達成という目先のゴールだけでなく、先々まで見通して、事業部の方々を巻き込んでいかれたのですね。ファイナンスの取り組みについても教えていただけますか。

当時、IT人材事業は、売上も利益も堅調に伸びていました。ゲーム事業には、パブリッシャーとして成功したゲームがあり、急成長を遂げていました。さらにこの事業に勢いをつけるために、もう一つゲームを成功させるべくチャレンジしようとした時期で、IT人材事業の堅調維持とゲーム事業の更なる拡大には当然ながら資金が必要で、私のVC時代のネットワークを活かして、スピーディーな資金調達を目指しました。以前に共同投資をさせていただいたりと既に信頼関係のあるVCの方々にご相談をさせていただき、入社した3カ月後には最初のファイナンスを決めることができました。結果的には、2015年と2016年で合計6.2億円ぐらいを調達したのですが、出資していただいた皆さんには本当に感謝しています。