【インタビュー】株式会社ispace/野﨑 順平氏 ― 前例が無い常識外の挑戦。CFOとして忍耐強く推し進めることの大切さとは。(1/3ページ) - Widge Media

【インタビュー】株式会社ispace/野﨑 順平氏 ― 前例が無い常識外の挑戦。CFOとして忍耐強く推し進めることの大切さとは。(1/3ページ)

記事紹介

2023年4月、東証グロース市場へ宇宙事業で国内初となる上場を果たした株式会社ispace。2017年には宇宙分野のシリーズAとして世界過去最高額となる103.5億円の調達を実施。また、資金調達や予算確保の難易度が高い宇宙事業において、継続性の高いビジネスモデルを実現し、今なお新たな挑戦に取り組む同社の取締役CFOの野﨑順平氏に、IPOに至るまでとその後の取り組みについてお話を伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

早速ですが、これまでのご経歴からお話を伺えますでしょうか。

現職は2社目でして、新卒で投資銀行であるメリルリンチ日本証券株式会社に入社しました。自動車業界、石油業界を担当し、ファイナンスのアドバイザリー、M&Aのご提案、IRのご提案などをしていました。若いバンカーでも日本を代表する企業の経営の方々と一緒に働く機会が多かったので、とても貴重な経験だったと思います。

アドバイザリーをやるうちに、経営者の姿をずっと横で見ていたので、横で伴走してアドバイスをするよりも、当事者として自分も経営陣になり、経営側としてリスクを取るというチャレンジをしてみたくなりました。12年ほど勤めて、年齢でいうと37歳でしたね。

当時スタートアップへ行こうとお考えだったのでしょうか。

中途ですぐ経営の経験ができるのはスタートアップだと思いました。あとは西海岸で実際にスタートアップ企業を見た時の経験も大きかったですね。当時、ピーター・H・ディアマンディスが書いたBOLD(ボールド)という、西海岸のいろいろなスタートアップの潮流が書かれた本を読んで興味をもっていたんです。ちょうどその頃、たまたま西海岸のスタートアップを見たいという自動車会社のお客様がいらっしゃって、ご案内する機会があったんです。フィンテックのスタートアップを3~4社見ることができたのですが、その経験が自分の最大の変化点でした。

どうお感じになられたのですか。

世の中がものすごく変わっていると感じました。彼らが持っているノウハウ、考え方、スピード感とか、世の中が激しく変わっている、スタートアップの時代が来ているなと。それでよりスタートアップへ行きたいと強く思いましたね。

株式会社ispace 取締役CFO 野﨑 順平氏

その中でなぜispaceさんだったのでしょうか。

特に宇宙を目指していたわけではありませんでした。ただ、自動車や石油業界などを担当していた関係で、工場を見に行く機会が多くあり、エンジニアリングが作るものは素晴らしいなとずっと感じていました。エンジニアと一緒に働きたいとも思っていたんです。そうした想いがあったので、ディープなテクノロジーを持っていて、かつ英語を使ったグローバルなスタートアップを探していました。グローバルを飛び越えて宇宙になりましたが(笑)。2016年の末頃に袴田(CEO)と会って2017年に入社しました。

当時のispaceさんはどれくらいの組織規模だったのでしょうか。

まだ20名規模です。私はちょうど20番目の社員でした。オフィスは雑居ビルの一室で大学の研究室みたいな感じで…(笑)。私の席の横に3Dプリンタが置いてあって、夜中に作業をしていると、横でエンジニアがドリルを使って穴を開けている、そんな感じでしたね(笑)。

面白いですね。コーポレートのメンバーはいらっしゃったのでしょうか。

経理、人事、法務全般を担当する方が1名のみという状況でした。それまでispaceはローバー(月面探査車)だけをやっていたのですが、いよいよローバーが乗っていくランダー(月着陸船)も自分たちで作らなくてはいけなくなり、そうすると桁が変わって資金調達の機能も必要になりますし、組織構成も変えていかなくてはいけない。そのタイミングでファイナンスが必要になったということです。

当時ラウンドとしてはどのくらいでしたか。

私が入社する前にシードが終わっていて、私が入ってからシリーズAをやりました。ものすごく長い期間シリーズAの検討を進めている中で、やはりCFOが必要だと。私が入るときは「早く入社しないとシリーズAは2ヶ月で終わってしまいます」と言われましたが、入社してみたら実はシリーズAは全然終わっていませんでした(笑)。

スタートアップあるあるですね(笑)。

そこから結局1年ほどかかりましたね。よくある話です(笑)。

入社後はどのような業務から取り掛かられたのですか。

まずは経理を綺麗にすることでした。今だから言えることですが、当時は、財務諸表の数値と会計ソフトの数値の整合性も取れていませんでした。なかなか経験がない中で対応せざるを得なかったので仕方がなかったような気もします。決算は税理士さんにほぼお任せしているような状態でした。

これもスタートアップで上場準備にとりかかる際にはよくあるお話ですよね。

そうなんですよね。それだと監査法人の対応ですとか、いわゆる上場の準備ができません。ただ、私も経理出身ではないので経験者をということで、まず最初に経理のプロフェッショナルを採用したのを覚えています。およそ1年かけて大掃除をしていったという感じですね。

当時監査法人とはご契約されていたのですか。

お付き合いはあったものの契約自体はまだでしたので、そのあたりから正式に契約に至っています。

ファイナンス実務に関しては、どのような内容からスタートされたのでしょうか。

シリーズAが動き始めていたので、事業計画を作るところから始めました。なんとなくの計画はあったものの、しっかりとした投資マテリアルに変えていかないといけなかったので、モデリングして、きちんと投資家に話ができるレベルに持っていくということを意識しましたね。できる限り投資家に響くように、投資ハイライトを整理したり、数字を整理したり、どういう風にリターンが出てくるのかといったイメージもしっかりと落とし込みました。

2017年当時は、そもそも事業そのものがまだ影も形もないわけです。実際に民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」Mission1の打ち上げを行ったのも、そこから数年後の2022年12月でしたし、投資家側としても極めて不確定な投資になりますよね。

そうですね。

「夢を売る」ということになりがちだったため、せめて事業計画はしっかり作らないといけないと思っていました。それが最低限の信用になると思っていたので、だいぶツールを作りこみましたね。

とても重要な視点ですね。アプローチされていたVCさんは国内だったのでしょうか。

はい。シードで(現在も主要株主でいらっしゃる)インキュベイトファンドさんが入ってくださっていたので、特に赤浦さん(代表パートナー)とはずっと一緒に戦略検討をさせていただいていました。他にもシリーズAで入っていただいたINCJさんとDBJさんの存在も大きかったですね。

なるほど。シリーズAでは日本のスタートアップ企業による国内過去最高額、宇宙分野のシリーズAとしても世界過去最高額と、とても大きな話題になりましたよね。

103.5億円だったのですが、INCJさんとDBJさんで半分、残りをなるべく民間企業でと考えていました。その両方がないと恐らく100億円に届かなかったと思います。当時はその戦略をものすごく考えたという記憶があります。多くの民間企業へアプローチして、「この会社はダメだった、では次この会社はどうか…」みたいなことをひたすらやっていましたね(笑)。

素晴らしいですね。

あらゆる業種、かなり多くの企業の方々に、投資検討のお願いに伺いました。毎月毎月そのようなことをやっていましたね。