【インタビュー】サイボウズ株式会社/山田理氏 - 会社は人を幸せにするツール。サイボウズを通じて、社会を変えていきたい(3/5ページ) - Widge Media

【インタビュー】サイボウズ株式会社/山田理氏 - 会社は人を幸せにするツール。サイボウズを通じて、社会を変えていきたい(3/5ページ)

記事紹介

日本興業銀行にて市場部門等を経験した後、サイボウズ株式会社にCFOとして参画。同社のIPOならびに史上最短での東証2部上場を経由し東証一部上場までを牽引。その後、取締役副社長・サイボウズUSA社長を兼務し(自ら米国に赴任し)、グローバル事業拡大も先導している山田理氏に、そのキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

もう大問題ですよね、本当に。

ただ、会社は潰れてしまったんですが、そのゲーム自体は未だにあるんですよ。たぶん会社が潰れたということを知っている人もそこまで多くないと思うほど、ゲーム自体は今でもたくさんの人達に愛され続けている。

そういう意味では、プロダクトを見る目は間違っていなかったんですが、経営を見る目が無かった。どれだけ良いものを作っても、経営の舵取りが上手くいなかったら「こんなに簡単に潰れてしまうんだ…」って思いましたよ。

 

それと同時に、番頭的な立場の重要性も認識しましたね。

番頭ですか。

えぇ。どんなに天才的な経営者がいても、経営者一人では、時々今どこを走っているのかが分からなくなってしまう。道から外れた時にしっかりと戻してあげることのできる番頭の重要さ、この時にとても感じましたね。

その後はどうされたのですか?

しっかりと処理をした後、当然のように飛ばされました。

ただ、異動をしたのがIT企業を担当する部門で、これはとてもありがたかったですね。

それはすごい導きですね。

そうなんですよ。4~5人くらいの新しいチームで。

ネットバブルの時代だったので、楽天の三木谷さんや、サイバーエージェントの藤田さん、DeNAの南場さん、ライブドアの堀江さんなど、当時のベンチャー経営者にたくさん会いましたね。

やはり銀行とは全く異なる社風なので、オフィスに行くと、皆とてもラフな格好で仕事をしていたり、普通に寝袋が置いてあってその中で寝ていたり…。

でも、それが妙にうらやましくて(笑)。

明日どうなるか分からない中で、とてつもない情熱を持って仕事をしていて、「僕達が世の中を変えていくんだ!」っていう空気感ですよ。

徐々にこっちの世界に行きたいな…と、思うようになりましたね。

その当時の年齢は、おいくつ位だったのですか?

31歳ですかね。一番上の子供が生まれたばかりの時だったので。

IT向けの部門に異動をしなければ、転職をという思いまでは出てこなかったかもしれないですね。

そうですね。確かに大きなきっかけになりましたね。

最終的に心を決めたのは合併になった時ですか。

 

その通りですね。第一勧銀と富士銀と合併してみずほ銀行になると。その瞬間ですね。

まぁ、仕事のできない僕のような人間に、いろいろな仕事を任せてくれながら、じっくりと育てて頂いた興銀という会社には、絶対に足を向けて寝られないという思いはあったんですよ。

なので、興銀自体が旗を降ろさなければ、人がどんどん辞めていったとしても、必要としてくれる限り、そのまま居続けようと思っていたんです。

ただ、合併という選択を取り、日本興業銀行が無くなると。

僕は、日本興業銀行に就職したのであって、みずほ銀行に就職したわけではなかったので、このまま残ったとしても、みずほ銀行への転職になるわけですよね。そういう視点で考えた時、これがタイミングかなと思いました。

転職活動のようなことはしていなかったんですが、ありがたいことに、いろいろとお声掛けを頂くことも多くて。

たしかに様々な企業からのお誘いはあるでしょうね。

とてもありがたかったですね。

その中に、サイボウズさんもあったわけですね。

いや、サイボウズは違うんですよ。

そうなのですか?

サイボウズは、僕が広島支店にいた時の飲み友達から話を聞いて。

飲み友達ですか。

えぇ。当時は、VCのジャフコさんに勤めていたんですが、今では業界の有名人ですね。赤浦さんといって。

赤浦さんからのお話だったのですか。

 

そうなんですよ。当時は赤浦さんと仕事の話なんて全然しなくて、本当にただの飲み友達で(笑)。

当時、赤浦さんはジャフコ・広島支店の担当として、サイボウズに出資していたんですよ。それで、その後ご自身でVCを東京に立ち上げられた頃、僕も当時、ITの担当とかをしていたので、渋谷などで会って飲んでいたんですよね。

「興銀も無くなるし、どうせならネットベンチャーでも立ち上げようかなって思っているんだけど。」「今なら何をやっても当たるんじゃないの?」「こういうのを考えているんだけど、どうかな?」

みたいな話をつらつらとしていたら、

「そんな金融機関出身の人がね、僕にも思いつくようなアイデアで起業をするくらいなんだったら、一歩目として、どこかのベンチャーに入った方がいいよ。」

「サイボウズっていって、15人位の若い会社なんだけど、この会社、結構良い会社で、上場も目指してる会社だから、紹介しようか?」

って言われたんですよ。

それで実際にお会いになられたのですね。

すぐに会いましたね。

その週のどこかで、たまたま創業社長の高須賀さんが東京に出張に来ていたので。

ウェブの可能性であったり、グループウェアの可能性であったり、いろいろな話をして頂いたのですが、一番は「経営者はどんな人か」ということを大事にしていたので、その点でとても素晴らしいと感じましたね。

例えば、どういった点でしたか?

青野さんもそうですけど、松下電工の出身なので、松下の企業理念の素晴らしさなどを話されていて。

 

会社は人なんだとか、売り上げというのは、お客様からお金をお預かりして、それでさらに良いものをお客様に提供していくためにあるものなんだとか、利益は世の中に対しての役立ち高なんだとか。

そして、「公明正大に経営をするんだ」と。「隠しごとなく経営をしていくことが大事なんだ」ということを強く話されていた時に、すごいなって思ったんですよ。

設立して2年目くらいで、15人くらいで、まだどうなるか分からない状態にもかかわらず、ここまで言い切れるってすごいですよね。

それで、この会社・この人と一緒に仕事がしたいなって思ったんですよ。

素晴らしいお話ですね。

それで、すぐに今度は大阪に行って、青野さんと畑さんに会いました。二人の話にも非常に心が引き寄せられて、完全に確信しましたね。この会社だって。

次の週には会社に退職願を出しました。

決断のスピードが早いですね。

本当に素晴らしい会社と出会えたと思ったので。

当時サイボウズさん以外にもお声が掛かった企業があったかと思いますが。

そうですね。とある東証一部上場企業(ベンチャー)は、役員(CFO)ポジションで、破格の待遇でオファーを出してくれましたね。

サイボウズはその何分の一かだったと思いますよ(笑)。

興銀時代の年収よりも高い金額でオファーをということですか。

そうですね。だいぶ上でしたね。でも、お金で選ぶのだけはやめようっていう気持ちがあったんですよ。お金とか地位のために心を売るっていうのが嫌だったのでお断りしました。

同じCFOという肩書でしたけど、そちらは部署の人数も結構いて、一方こちらは僕一人しかいなくて、「最高」財務責任者やけど「最低」でもあるやん…なんて思ってました(笑)。