【インタビュー】株式会社ディー・エヌ・エー/小林賢治氏 - コーポレート部門は”ブースター”。いかに事業部門のエネルギーを増幅させるか(3/5ページ)
株式会社コーポレイトディレクションの史上最速マネージャー記録を打ち立て、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に執行役員ヒューマンリソース本部長として参画。その後、ソーシャルゲーム統括部長、Chief Game Strategy Officerを経て、現在、執行役員経営企画本部長として同社のコーポレート部門を牽引する小林賢治氏のキャリアストーリーを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之
テーマは?
「ある演奏が良い演奏と判断されるのはどうしてか」というテーマですね。 これを説明するとだいぶ長くなっちゃうんですけど…(笑)。
ざっくり言うと…?
芸術作品の中で、音楽作品というのは、非常に定義が難しいんですよね。 たとえば絵や彫刻など、モノがあれば「これは芸術作品だ」って言えるじゃないですか。 でも音楽作品て、どれを指すんですか?「楽譜ですか?」「演奏を聴く体験ですか?」「CDですか?」「生演奏ですか?」って。構成要素が複雑なんですよ。
楽譜だけ渡されても体験できないじゃないですか。 体験するという際には演奏は介在しますけど、それまでの音楽美学においては、作品と演奏は切り離されていたんですよ。
演奏が無いと体験できないのに、なんでそれが切り離されてしまうのか。それっておかしいのでは?と。
なるほど。確かにそうですね。
演奏って間違えることもあるじゃないですか。もっというと、音を変えることもあれば、強弱を楽譜に書かれているものとは変えたりすることもある。楽譜通りでないことはよくあるんですよ。
少しだけ違う場合は、皆同じ曲だと理解しますけど、全然違う場合もあるんですよね。その場合、どこまで違うと別の曲になってしまうのか。 少しだけ違うようであれば、それが「悪い演奏なのか」「良い演奏なのか」ということだけで終わってしまうと思うんですけど、たとえば音が半分変わっていたら、それは「もともとと異なるけれど良い曲」になったりもするわけで。これって結構曖昧なんですよね。
「良い演奏なのか」「悪い演奏なのか」ということと「その作品なのか」「その作品でないのか」ということが、どう絡むのか…。みたいなことを考察するテーマでしたね。
いやぁ、とても奥深いですね。
話し出すと長くなっちゃいますけどね…(笑)。
この卒論のテーマが、後のご自身の思想に影響を及ぼしているとおっしゃっていましたが。
そうですね。この卒論でも大きなテーマにしたんですけど、「良いとされているものは、歴史的に変化をしている」と。 「不変のものはない」「必ず価値観は変わっている」としたんです。
その題材に、「ブラームス交響曲第1番」の約100年の演奏の歴史を辿ったんですけど、時代によってテンポが倍ほど変わるんですよ。有名な第一楽章の冒頭部分についていうと、ある時代のテンポは♩=50くらいで、ある時代のテンポは♩=100くらいになったり。 遅いのが良いと捉えられる時代もあれば、早いのが良いと捉えられる時代もあって、それって作曲家の意図とは違う次元で動いているんでるよね。
これってあらゆることに当てはまるような気がしていて、「これが良い」と今は思っているけれども「ひょっとしたら変わるかも…」と、ある意味、相対主義的な立場に立つと、柔軟性を失わないとか。こういう点は、思想として残っていると思いますね。
それは確かにとても大切なことですね。 卒論と同時に就職活動も動いていたかと思いますが。
周りはそうでしたけど、僕の場合は、大学院に行こうと決めていたので。アカデミズムに残ろうと。絶対に就職はしない、という意思表示で、金髪にしたくらいですからね(笑)。
金髪ですか(笑)!
まっ金金でしたからね。
その意思表示、すごいですね(笑)。人生初ですか。
人生初です。周りもびっくりしていましたよ(笑)。
大学院の倍率も高かったのでは?
相当高かったですね。10倍とかありましたからね。
10倍ですか…。
それってやっぱり食べていけないからなんですよ。哲学系の大学院に行っても、就職できる人って限られているので。理系のように、院に行ってから就職というパターンはほぼ無いんですよ。 皆アカデミズムに残るしかないし、ポスト自体もそもそも少ないし。 30歳を過ぎてもポスドク(ポストドクター)という人も多いですから、最初に先生から「そういう覚悟がある?」っていうのも聞かれましたもん。
それでも選択をしたわけですよね。
そうですね。当時は自分の中では覚悟を決めていましたから。 国際学会でも、おそらく最年少だったと思うんですけど、一番下で発表したりしていましたからね。
すごいですね。
また図に乗っていましたよね(笑)。 でも、そこからオンラインゲームにはまっていっちゃうんですよ…(笑)。
オンラインゲームですか。
えぇ。大学院1年生の途中から「ファイナルファンタジーXI」に猛烈にはまっていまして(笑)。 サーバーを牛耳っていましたね。カルテルとかやっていましたから(笑)。
その辺りから、徐々に人生の進む道の選択肢が増えてきたと。
そうですね。このままアカデミズムの世界に残るのか、悩んでいましたね。
いつから就職をしようという思いに至ったのですか?
大学院の3年目ですかね。留年していたから3年目なんですけど(笑)。 留年したうえに休学しているので、結果的に4年間いたんですけどね(笑)。
休学もですか。
そうなんですよ。オンラインゲームのやりすぎで(笑)。
そうでしたか(笑)。 コンサルという道はどこから出てきたのですか?
当時は、何をやろうかなと思っても、全然出てこなかったんですよ。 ちょうど友人達が先に就職をしていたので、いわゆる社会人の先輩たちに、どういう方面に進むのが面白そうかな?っていう相談をしていたら、「いろいろ受けた方がいいと思うけど、とりあえずコンサルは受けた方がいいよ」と。 なので、メーカーとかSIerとか受ける中で、ひとまずコンサルも受けようと。
最初は選択肢の一つでしかなかったのですね。
そうですね。
各業界から内定も出たのでは?
出ましたね。
SIerからもですよね?
そうですね。会社側からは「何でそういう受け方なの?」って聞かれたりしましたけど、当時は何というか「コンピュータ」とかそういった類に興味は強かったので。 ゲームをする中で、秋葉原でアルバイトをしながら、当然のように自分でパソコンもつくったりしていましたし。 当時、家にサーバーも5台くらいあったんですよ(笑)。
自宅にサーバーが5台ですか。
ウェブサーバーだけじゃなくて、ストリーミングサーバーまでありましたからね(笑)。自分の家でネットラジオをやっていたので。 そういったこともあって、SIerも興味があって受けていましたね。
それでもSIerには進まなかったと。
そうですね。
就職活動のテーマというか、大切にされていたことは何だったのですか?
それで言うと、大学院を出る時も、先生からは「ここまでやっておきながら何で出るんだ?」ってよく言われたんですよ。 で、「大物になりたいんです!」と。当然、笑われましたけどね(笑)。
「どうやって大物になるつもりなの?」と聞かれて、「それは分からないですけど、とにかく懸命に仕事をしないと大物にはなれないと思うので、まずは一心不乱に仕事に打ち込める環境に進みます」と。
懸命に仕事ができる環境ということですか。
一生懸命に仕事ができる環境という軸で就職先を選ぶとすると、あまり業種とか関係ないじゃないですか。「この業界は一生懸命に仕事ができて、この業界はできない…」みたいなことって自分にとってはあまり無かったので。だから特に業種を絞って探していたわけではなかったんですよ。
たしかに。では、一生懸命に仕事に打ち込める環境を、どのような軸で探されたのですか?
「この人達とであれば一生懸命に仕事をやり続けられるだろう」と思えるかどうかですかね。
なるほど。
もともと「仕事は辛いものだ」という考えを持っていたんですよ。父がそういう風に叩き込んでいたのかもしれないですけどね。
お父さんがですか。
父は兵庫県の高校の校長だったので、特に震災の時には避難所の責任者になったんですが、当時ものすごく大変だったと思うんですよ。 私が「ボランティアに行くよ」と言うと、「いい加減にしろ。そんなに甘いものじゃない。簡単な気持ちでそういうことを言うな。」って怒るんですよ。 その剣幕を見て、仕事の大変さというものがひしひしと伝わってきて。
そういった場面場面での父の姿を見ていて、仕事というのは楽しいだけではないんだと。むしろ辛いことの方が多いんだということを自然に悟っていたんですよね。
そうだったのですね。
仕事をして辛い場面に出くわした時に、「そんな辛い思いをしながら何でその仕事をしているの?」という問いにふと向き合うことが出てくるだろう、と思っていたんですね。 たとえば「給与が良いからです」とか「会社のブランドがあるからです」とか、いろいろな理由があって当然良いと思うんですが、僕の場合はそういった理由では辛い局面は乗り越えられないなって思ったんですよ。
それが「人」なのですね。
そうなんです。一番は「人」だと思って。「今はこんなに辛いけど、この人達とやっているんだから大丈夫だろう。僕は乗り越えられる。」っていう納得が自分の中でできるかどうかかと思って。 なので、「人」で選ぼうって決めていたんですよ。むしろそれ以外の要素では選べないと。
素晴らしいお話ですね。 それが結果的に、コーポレイトディレクション(CDI)さんに決めた理由なのですね
そうですね。
どういったところから、そう感じられたのですか?
当時の面接官(パートナー)にも、同じように「どうやって判断するの?」って聞かれたんですけど、「24年間生きてきて『この人とは合う』って思ったことは、外したことが無いんですよ」って答えましたね(笑)。 「コンサルティングファームを受けておきながら、こんな非論理的な回答って微妙だと思うんですけど、僕は自分のそういった直感を信じられるんです」って言い切ったんですよ。実際にそうだったので。
他人から勧められて決めたら、後々後悔することもあるじゃないですか。「あの人良い人だよ」とか「付いていくべきだよ」って勧められてその道に進んだ後、もしも非常に辛いことが起きたら後悔すると思ったんですよね。 だから、あくまで自分の直感を大切にしようと。
そうでしたか。 直感で「合う」と感じられたのは、どなただったのですか?
採用チームの人達ですね。この人達と一緒に仕事していきたいなって率直に思いました。