【インタビュー】株式会社カラダノート/平岡晃氏 - 自然体かつ着実に難局を乗り越えたIPO~成長企業を真に支えるとは(1/3ページ) - Widge Media

【インタビュー】株式会社カラダノート/平岡晃氏 - 自然体かつ着実に難局を乗り越えたIPO~成長企業を真に支えるとは(1/3ページ)

記事紹介

2020年10月に東証マザーズに上場を果たした株式会社カラダノート。「家族の健康を支え 笑顔を増やす」というビジョンに共感し、更なる成長を目指す同社への強いコミットからIPO実現に貢献したのが、会計と経営企画の両分野を得意とするコーポレート本部長 平岡晃氏。少数精鋭チームを牽引し、IPOに向け社内のあらゆる面の整備を手掛け、数々の難局を乗り越えてきた。IPO実現に至るまでの経緯を振り返る中で見えてきた、IPOを成功させる極意とは。コーポレート本部長 平岡氏にお話しを伺った。
※インタビュアー/株式会社Widge 利根沙和

成長企業を真に支えたいという思いに重なったIPOへ挑戦

本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、カラダノートへ入社されるまでのご経歴などをお聞かせください。

大学院で会計を専門的に学んだ後、新卒で日立製作所に財務・経理職として入社しました。日立では、国の補助金を受けた大規模プロジェクトなど、大企業ならではの事業にも携わらせてもらいましたが、3年ほど務めたところで一通り大企業の仕組みですとか、会社という組織の成り立ちが大枠ではありますが見えてきたように感じて、次のチャレンジを考え始めました。そうして転職したのがBCホールディングスという中小企業向けコンサルティングファームです。

大企業でしっかりと研鑽を積まれた上で、より経営分野に近いフィールドを目指されたのですね。

そうですね。BCホールディングスでは経営企画室の中心メンバーとして、海外を見据えたIPO準備や子会社の再建などを進めていきました。色々な要因がある中で結果的には上場には至らなかったのですが、この経験はカラダノートでIPO準備をするにあたり、実務面で役立ったと思っています。そこからまた次の新たな環境へと考えて入社したのがミクシィです。当時のミクシィは、モンスターストライクというゲーム事業の柱ができつつあるかどうかという時期。何とか次の柱を確立しなければ…とM&Aを積極的に展開している真っ只中だったので、いくつかある子会社のグロース支援がメイン業務でした。それまでの2社での経験ももちろん大きいものだったのですが、このミクシィでの経験が、今の自分を構成する要素としては一番大きいものだったのではないかなと感じています。

コーポレート本部長 平岡晃氏

どのようなご経験が今の平岡さんに活きているなと感じていらっしゃいますか?

まずは初めてインターネット業界にふれたという部分が大きかったですね。業界特有のスピード感がある中、事業の細かいモニタリング方法や事業の成長戦略立案、PDCAサイクルの回し方など、沢山のことを吸収した時期だったと思います。経営企画としてすべきことを具体的なやり方とともに、その一つ一つの大切さも教えて頂きました。入社後1年半くらい経った頃にはゲーム事業が大きな柱として成長したので、成長が鈍化している事業の売却を行うというフェーズになり、2件ほどM&A売却も担当しました。その経験もなかなか大きなものだったなと思っています。

事業の成長も衰退も、両面から様々なご経験を積まれて経営企画としてのスキルを高められたのですね。やりがいのある環境だったかと思いますが、その後カラダノートへと転職されたきっかけは?

どの企業でも「親会社が求めていること」と「子会社がしたいこと」にギャップが生じることはしばしばあると思うのですが、そんな中での子会社グロース支援というのは、親会社の立場として子会社をうまくコントロールすることが求められます。成長が見込めず売却する場合を含めて、そういうコミットの仕方が本当にその子会社にとって良いことなのかという葛藤がけっこうあったんですね。親会社と子会社という立場ではなく、実際にその成長企業の中に入って、純粋にその企業が目指す方向性に向けて成長させることに集中したい、共にコミットしあいたいという思いが強くなったというのが転職を考えた理由の1つでした。

なるほど。子会社とはいえトップを据えた1つの組織。本当の意味での成長支援のあり方というのは考えさせられますね。

はい。もう1つの理由としては、カラダノートの「家族の健康を支え 笑顔を増やす」というビジョンへの共感です。私自身にも子どもがおり、子育てをするようになってから、家族の健康や子供のより良い環境というのが興味関心の一つとなる中で、このビジョンへの共感はとても分かりやすいものでした。ちょうどミクシィでのプロジェクトがひと段落した頃でもあり、代表取締役の佐藤とも話を重ねる中で、事業内容が自分事でもあり、IPOにも挑戦できるカラダノートへの興味がどんどん深まったのです。

入社時には、IPOをすることは決まっていたのですか?

代表の佐藤の中ではIPOをすることを既に決めていて、面接時にも「これから一緒にIPOをめざしましょう」と言ってもらいました。コーポレート部長として入社した私の当時のミッションは、コーポレート体制の整備・強化と、IPOの準備・実行の2つでした。

IPOに至るまでのコーポレート組織やIPO準備チームの体制の変遷なども教えていただけますか。

私が入社した2017年2月からすぐにIPO準備にとりかかり、約3年半後の2020年10月に上場を達成しました。基本的な管理部門の業務は、もともと担当してくれていた1名と私の2名体制で行っていましたが、上場準備開始のN-2期にはまず広報部を立ち上げました。当時、業績が順調に伸びていたことはIPOを目指す追い風にもなっており、弊社のサービスを利用してくれる人が増えてはいたものの、事業をより伸ばすためには、更なる認知度アップが課題でした。そのためにも、メディアとの関係構築を強化したかったのです。IPO準備に関しては、まだチームと呼べるような体制ではなく、私がひたすら業務フローや規程作り、管理系システムの導入などに取り組んでいました。まだ指摘事項もそこまで多くなく時間的な余裕もあった時期ですし、社員数も16名程度だったのでこの体制で十分回せる規模感でした。

コンパクトな体制で、着実に準備をスタートされたのですね。

N-1期になり、証券審査も入りIPO準備も本格化してきたところで、財務・経理を分離するように指摘を受けました。そこで、財務・経理の両分野が得意な人の採用に乗り出したのですが、これがなかなか苦労しましたね。証券会社からは早く採用するようプレッシャーを受けつつも、開示業務の経験があり、かつ、ものごとへの柔軟な対応力を備えた人材にこだわったので、結局、採用までに1年弱もかかってしまいました。こうして、IPO準備チームは新たなメンバーを加えた3名となり、IPO準備業務に限ってはこの体制で最後まで臨みました。

最後まで少数精鋭で進められたのですね。N期に入ると審査の回数や指摘内容も増えると思いますが、大変なこともあったのではないでしょうか

N期に入ると私の業務量も増え、さすがに余裕がなくなっていきましたね(笑)。その頃の審査では、人事に採用担当と労務担当を置くように指摘を受け、社内の部署異動で来てもらいました。その後、法務関係に課題が見つかり、こちらは専門知識がある人を急いで採用することに。慌ただしく体制強化をすることとなり大変ではありましたが、長らく管理部2名体制で人事も財務も経理も法務も何でもやるみたいな状況から、コーポレート部門内のチーム分けが進み、役割分担が明確になった時期でもありました。全体的な社員数も私の入社時から2倍に増えていました。