【インタビュー】渡邉淳氏 - 家族・友人との信頼関係、知識、健康…「見えない資産」を大切に(4/6ページ) - Widge Media

【インタビュー】渡邉淳氏 - 家族・友人との信頼関係、知識、健康…「見えない資産」を大切に(4/6ページ)

記事紹介

高専から新卒で富士通株式会社のエンジニアへ。その後、公認会計士へキャリアチェンジをし、青山監査法人(現PwCあらた監査法人)へ入所。野村證券株式会社(引受審査部門)、株式会社ラルクを経て、株式会社エラン・取締役CFOとして東証マザーズへのIPOならびに東証一部への市場変更を牽引。監査法人・証券会社・IPOコンサル・事業会社(IPO準備から東証一部)と、様々な角度で経験を積まれてきた同氏のキャリアストーリーと、その後について伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge利根沙和

そんな中で、エランさんのCFOをお引き受けした一番の理由は何だったのでしょうか?

いろいろな理由がありますが、大きいのは櫻井社長の人柄とノリですね。既に2年以上コンサルタントとしてのお付き合いがありましたので、お互いの人となりみたいなものは分かっていました。

周囲を大切にしてどんどんWin-Winの関係で仲間を増やしていく社長と、その社長のもとに集まっているメンバーも、心から一緒に仕事をしたいと思える方々でした。

数年間、エランの事業計画の策定などにどっぷり関わっていましたので、事業の社会的意義や成長性も分かっていましたし、何よりエランのIPOとその先の成長には、私のこれまでの経験がとても役に立つのではないかというイメージができたということも大きかったですね。

エランに行く決め手になったのは、最後まで迷っている私に対して櫻井社長から言われたひと言です。「エランに飛び込むことが渡邉さんにとって正解かどうかなんて私もわかんないよ。ただ、うちに来ればぜったいに楽しくなるよ。」と。楽しくなると言われて、私もそうかなって思えたので、エランに行くことにしたんです。エランに行くかどうかは色々な要素をしっかり天秤にかけて合理的に決めようと思っていたので、「とにかく楽しくなるから」という説得には正直戸惑いました。でも考えてみると、楽しいってことは素晴らしいことだなと思い、なぜかそれで決意してしまいました(笑)。一方、お受けする際には、「私にずっとエランで勤めてほしいと言われてしまうと、さすがにそれは重いですよ。」というお話もしました。

そのようなお話もされたのですね。

「IPOのためだけに力を貸してくれということなら行く気にはなりません。上場できたしても上場会社として落ち着いたといえる状況になるまで数年はかかります。もしやるなら、IPOしたらすぐに辞めるような無責任な仕事はできませんので上場企業として安定するところまではやらせていただきます。ですがその先については続けるかどうかはわからないということでもよろしいですか? 私としてもずっとエランにいたいと思うかもしれませんし、そうでないかもしれません。会社としてもどんどん成長していけば、その時にCFOとして必要な人材は私ではなく別の人になる可能性はありますよね。」というようなお話をしました。その話について櫻井社長は、「言われてみれば、その時はその時だよね。わかった。」と納得いただきました。

そこまでのお話を出されたうえで、ご参画されたと。

そうですね。あとは、「私が引き受ける以上は、マザーズ上場は実現させますし、早いタイミングで東証一部にも行きましょう。」というお話もしました。

IPOならびに東証一部への市場変更は「必ず」と約束されていたのですね。

はい。もともと支援をし始めた11年夏の時点から、14年9月のマザーズ上場を目指していました。私がCFOとして参画してからも、決して順風満帆ではなくて様々なピンチもあったのですが、なんとか14年11月に上場することができました。当初の約束からは2ヶ月だけ遅れてしまいましたが。

数年前に描いたスケジュール通りに上場をしたということなのですね。さすがです。

上場日当日に「ちょっとずれてしまいましたが、お約束は何とか果たせましたね」と、櫻井社長と話したことを覚えています(笑)。その後、ちょうど1年後に東証一部への市場変更も達成することができました。思い出深い実績の一つになりました。

市場変更も1年で!

ぴったり1年でしたね。市場変更でも、いろいろな壁はありましたが、予定通り1年で実現ができました。

素晴らしいですね。上場をされてからはいかがでしたか?

マザーズ上場後は、とにかく会社を「上場企業」としてしっかり安定させることを意識しました。上場直前から上場してしばらくは、実際のところは、経営管理面やIR活動などは、私個人の力でなんとか引っ張っていた状況でした。エランだけでなくIPO直後の会社では、こういった状況はよくあることだと思いますが、万が一私が倒れたりしたらと思うと非常に心配でした。

何か意識的に取り組まれたことはあるのでしょうか?

会社も成長して、社員数・支店数そして取引先の数もどんどん増えていっていたので、早期に組織的な動きにシフトしていきました。どう考えても個人の力で経営管理系全般を引っ張っていくことには限界が来ることもわかっていました。自分に仕事が集中する状況を少しずつ減らして、意識的にメンバーに任せていくようにしました。メンバーも大変だったとは思いますが、大きく成長していきましたので、とても嬉しかったです。

そんなの当たり前といわれるかもしれませんが、CFO在任中は適時開示・法定開示において訂正を一つも出さなかったことはちょっとした自慢です。また、期初発表の業績予想を下振れすることは絶対にしないように心がけました。エランの業績予想の精度については、機関投資家の方々からもそれなりに評価をいただけていたようです。

上場企業としての本決算・IR・株主総会・有報提出などを3回転させたあたりで、自分としてのエランでの役割が一区切りついたかなと実感したんですよね。

退任されるタイミングを判断されたわけですね。

上場後の本決算を3回やったところというと決して長くはないですが、参画した日からCFOとしてエランの経営に全力投球していましたので、少し心も体も休めたいなとも思いました。退任にあたっては櫻井社長だけでなく、他の役員がみな慰留してくださって、とても心苦しかったです。

退任時には、問題なく回せる組織になっていたのでしょうか?

任せてきたのはとても優秀なメンバーなので問題無いですが、心配は尽きないですよね。私が抜けた穴は小さくはなかったと思います。

そうですよね。当時、退任することに対しては、やはり複雑なお気持ちもあったのでしょうか?

そうですね。やはり寂しさはありました。